及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

デジタル 情報技術が事業環境にもたらす変化を再考する

今から10年ほど前、まだ「デジタル ・トランスフォーメーション」という言葉が人口に膾炙する前に、デジタル 情報技術が事業環境にもたらす変化について整理しようとしていて、それを「マーケティング・ジャーナル」で発表し、その内容をもとに、講演などで紹介していたことがありました。

当時の「マーケティング・ジャーナル」の論文はこちらに公開されています。

当時の講演の資料は、2012年1月20日に「嶋口・内田研究会」で講演の機会をいただいた際に使ったものが私の手元に残っておりました。そのときに使ったスライド3枚を再掲します。
最初のスライドは、Paul Baranが提案した分散型のネットワークを説明したもの。当時一般的だった中央集権型のネットワークを「ツリー型」、Baranが提唱した分散型のネットワークを「リゾーム型」と位置付けています。

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続いて、ツリーとリゾームの説明。私が大学時代に愛読したテーマを、ここから突っ込んでいます(笑)。インターネットとして世の中に普及した分散型ネットワークと近いモデルで捉えられると話していたはずです。

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そして、デジタル情報技術がもたらした事業環境(この講演のときには、それをもう一歩踏み込んで、「デジタル ・プラットフォーム時代のコミュニケーション環境」と呼んでいますが)において、企業と個人の間、同一企業内の社員の間、そして、異なる企業の間で、コミュニケーションの仕方が、ツリー型からリゾーム型に移行するというフレームワークを提示しています。

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このスライドの後に、これらのツリー型からリゾーム型への移行の予兆となる事象や経営学で登場した概念をひとつひとつ解きほぐして説明するスライドが23枚続き、さらに当時私が研究していた、顧客と企業の間のインタラクションのメカニズムに関する実証研究の紹介するという構成でした。いや〜懐かしい。 さて、この「デジタル ・プラットフォーム時代のコミュニケーション環境」のフレームワークですが、その後10年を経た今日の視点で眺めると、以下のように感じます。

  • 企業=顧客のリゾーム化は、ソーシャル・メディアの普及により、この後の10年間でますます進んだ。顧客発の情報は大きな力を持つようになり、顧客が自らの興味・関心に合致した情報を顧客間で交換することにより、従来のデモグラフィックな要因とは異なる要因によってミクロセグメントを形成するようになり、企業はこのミクロセグメントに適合するように自社の商品開発やマーケティング・コミュニケーションを最適化し始めている

  • 企業内のリゾーム化は、従来の組織を横断するプロジェクトに権限を持たせて機動的に事業を推進する企業も出てきており、例えばSlackのようなチャットツールがそれを支援している。その一方で、企業活動においてコンプライアンスが求められるようになる中で、組織のガバナンスを強化すること(これ自体は経営的に正しいことなのだが)の副作用として、技術的にはリゾーム型のやりとりができても、組織のルールにおいてそれが円滑に進められず、組織が個々のユニットの中に閉じてしまう傾向も懸念される。 いわゆる「コロナ後」の事業環境において、Zoomなどオンライン会議ツールの普及が加速したが、これはツリー型にもリゾーム型にも使われうる

  •  企業=企業の関係のリゾーム化は確実に進んでいる。多くの従来型の企業は、それまで自社内に抱えてきた機能をアウトソースし始めていて、SaaS企業がそのアウトソースのニーズを取り込んで成長している。また、新たに台頭したD2C事業者は、コア・コンピタンスに資源をフォーカスし、その他の領域はイネーブラーとAPI連携しながらバリュー・デリバリー・システムを構築することによって、投入資源あたりの成長を加速させることに成功している


さらに、そもそもこのフレームワークに入っていなかった以下のような要素が、この10年間で前景化したとも感じます。

  • データ分析による最適化のパワーが、10年前に想像したよりもはるかに強力である。特に機械学習によってアルゴリズムを自動処理する(≒世の中の人々がイメージするAI)ことによって見出される最適化の機会を特定する数は人間が行なっていた分析に比べて圧倒的に多い。この圧倒的な数の最適化の機会を特定し、実装できる企業と、そうでない企業との間の差は、競争優位の大きな要因となっている

  • 顧客=生活者がリゾーム化して形成したミクロセグメントが、デジタル ・プラットフォームの最適化機能が進化することによって、いわゆる「フィルターバブル」(デジタル ・プラットフォームのアルゴリズムが、各ユーザーに適合しなさそうな情報をフィルターすることにより、ユーザーが見たい情報だけを見るようになること)をもたらし、それによってミクロセグメント間の分断が激しくなる。これは、デジタル情報技術を使いこなすようになった企業にとって短期的には問題ではないだろうが、社会的には、合意形成などにおいて深刻な問題となりつつあり、これが進むと、そもそも経済活動の前提となる安定した社会構造が保てなくなる可能性がある

前者については、私自身がこのフレームワークをつくった後で、実務において携わる中で肌で感じた、機械学習を活用した予測分析の可能性を、もっと多くの実務に携わる方々に気づいていただけるよう、私も大学の授業などにおいて取り上げていきたいと考えています。

後者については、たとえばスマートニュースの「ポリティカルバランシングアルゴリズム」のような、アルゴリズムを設定する人間側の課題設定そのもののクリエイティビティが求められるでしょう。

さて、このアルゴリズムのクリエイティビティの源泉となるものは何か?

鈴木健氏が2013年に出版した「なめらかな社会とその敵」の中に、次のような一節があります。

 認知コストや対策コストの問題から、私たちは複雑な世界を複雑なまま観ることができず、国境や責任や自由意志を生み出してしまう。逆にいえば、認知能力や対策能力が脳の進化や技術の進化によって上がるにしたがって、単純化の必要性は薄れ、少しずつ世界を複雑なまま扱うことができるようになってくる。人類の文明の歴史とは、いわばそうした複雑化の歴史である。
 インターネットやコンピュータの登場は、この認知能力や対策能力を桁違いに増大させる生命史的な機会を提供している。これらの情報技術を使って、この複雑な世界を複雑なまま生きることができるような社会をデザインし、その具体的手法をいくつかを提案することが本書の目的である。
〔鈴木健 (2013), 『なめらかな社会とその敵』 勁草書房。〕

 
デジタル 情報技術が事業環境にもたらす変化を正しく活用するためには、短期的な最適化に止まらない視点が必要となるでしょう。その視点のヒントは、経営学以外のところにあるように感じます。