及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

「膜=核=網」のモデルの整理

鈴木健氏が2013年に出版した「なめらかな社会とその敵」から、その鍵となる「膜=核=網」のモデルを整理するために、関連するテキストを再録します。

はじめに

「私的所有は、人類という種に固有の現象のように思われがちだ。だが、それは誤りである。私たちは、私的所有を生命の歴史の中に位置付けなければならない。そのことによって【網】的な世界から内部と外部を分離する【膜】と小自由度で大自由度を制御する【核】が、繰り返し生まれてくる描像がみえてくることだろう。」

 

【膜】について

「細胞膜の内側はひとつのシステムとして自律性を持ち、弱い意味での一人称性、主観性が立ち上がり始める。あらゆるプロセスが、膜を維持するという内的な目的のために手段となり、システムの反応は、その目的を達成するための認知プロセスになるからである。」

「細胞は、外部からリソースを取り込み、そこからエネルギーを得る。そして、不必要になった物質を外部に吐き出し、外部の不必要な物質が膜の内側に入らないようにして、複雑な代謝ネットワークを安全な膜の内部に閉じ込める。」

「外部から内部に取り込んだ物質や、内部のネットワークによってつくりだされた新しい化学物質は、膜に守られている。その膜は、あたかも細胞がそれらの物質を私的所有しているようにもみえる。」

 

 

【核】について

「まずは全体が大自由度のシステムである代謝ネットワークがあった。自由度とは、自由に変更できる変数の数のことで、大自由度なシステムとは、互いに変数が影響を与える複雑な系である。やがて、大自由度のダイナミックスをもつタンパク質が、DNAという小自由度のシステムから生成されるものとなり、2つの存在に分化することによって、DNAは制御するほうに、タンパク質は制御されるほうに住み分けられる。やがてDNAは、核という細胞内器官に取り込まれる。DNAと核は【制御】の生物学的起源である。」

「小自由度が大自由度を制御しているという見方は、制御が一方向的で、すっきりしたものがごちゃごちゃしたものを決めていると考えたがる人間の認知バイアスによる錯覚である。つまり、実際は全体としてしか理解できないものが、小自由度による大自由度の制御というみせかけの関係性が認知しやすいので、小自由度が制御の主体だと認識されてしまう。そう認識されることで、その権力がさらに強化される。」

 

単細胞の【膜】と【核】について

「細胞がもつ自己維持の仕組みは、必ずしも安定的なわけではない。だが、DNAが比較的安定していることによって、その情報を使って安定的な状態を再生できることが、ある程度保証されているのである。外部からの摂動によって細胞は常に壊れ続け、そして同時に修復され続けている。死につつ生きることによって生命は維持されている。」 

 

多細胞の【膜】と【核】について

「細胞分裂した複数の細胞が、新しい社会スタイルを身につけるようになる。役割分担をしながら共生する多細胞生物の誕生である。それまではひとつひとつの細胞が個体であったものが、細胞社会全体でひとつの個体となる。多細胞生物では、個体の外部から取り込んだリソースを内部の細胞の間で配分することになる。そのため、個体にっって害となるリソースや細胞を、細胞膜とは違ったレベルで排除する必要性が改めて生じる。自然免疫の誕生である。」


他者の制御について

「生物は、自らの身体だけではなく、リソースをもつ土地や空間に対しても境界を引きはじめ、そのなわばりに入った敵を排除するようになる。なわばりは【空間の所有感覚】の生物学的起源である。こうしてコミュニケーションがはじまると、他者の存在を制御できるという錯覚が次第に生まれてくる。」

「不確定な他者の振る舞いを理解するために、存在しないかもしれない他者の心を、あたかも存在するものとして推論する能力が生まれた。これが心の理論と呼ばれる能力である。」

「心の理論という能力を獲得することにより、人はうそがつけるようになった。うそをつくというのは、他者に誤った信念をうえつけることによって他者の振る舞いを制御しようという行為である。そして理解不能で制御不能な他者という存在を、あたかも理解可能で制御可能な存在としてみなすようになったのである。心の理論は、【他者の制御】の生物学的起源である。」 


自由意志について 

「不確実な振る舞いを理解できないのは、他者だけではない。自分の振る舞いもまた、自分自身にとって不確定で本質的には理解できない。およそ5万年ほど前、自分の振る舞いの原因を他者として推論する能力、すなわち自由意志と自己意識が生まれた。」 

 

【社会的な膜】について

「たくさんの人々が有限の土地に住んでいると、その土地やリソースをめぐり争いをするようになる。また、異なる集落や民族の間でなわばり争いが行われるようになり、国境が生まれる。国境は【社会的な膜】の生物学的起源である。」

 

【社会的な制御】について

「やがて人々はひとりの人物に権力を委ねることになった。王の誕生である。王という小自由度の権力を制御することによって、複雑で大自由度の社会全体を制御できるようになった。権力は化学反応ネットワークのように複雑なネットワークであり、王はDNAのように世界に単純さをもたらす。ちょうどDNAが生命を制御しているのが錯覚で、実際には複雑な化学反応ネットワークの小自由度を統括する焦点でしかないのと同様に、王は社会を制御しているわけではなく、王を通して社会が制御されているのである。権力はどこかに座があるわけではなく、ネットワークとして創発する性質にすぎない。王は、【社会的な制御】の生物学的起源である。」

 

【近代国家のメンバーシップ】について

「300年ほど前、ホッブスやルソー、ロックらの近代思想家が、社会契約という概念を発明した。社会のひとりひとりの構成員が相互に契約を無視美、社会を構成するという考え方である。社会契約が重要なのは、社会の構成員のメンバーシップが明確になったことである。社会契約論が前提となる社会では、契約主体である個々人が国家に明確に所属することになる。これが【近代国家のメンバーシップ】の生物学的な起源である。引き換えに、人々は国家を所有する感覚をもつことができるようにもなった。」

「また、近代資本主義は、個人の私的所有を認めたうえで、その相互契約関係から財産の帰属を決定することを促した。しかし資本主義は近代国家を背景として発達し、結局のところそうした財産は国家という枠組みによって守られているに過ぎない。近代資本主義と近代国家は、相互に依存しながら進展していくことになる。」

 

【網】について

「こうして生命史を概観すると、内部と外部を分離する【膜】と、小自由度で大自由度を制御する【核】が、繰り返し登場していることがわかる。最初は細胞レベルで、そして多細胞レベル、他者レベル、社会レベルと、この構造は反復的に起きている。」

「だが、こうした膜と核を生み出すのは背景にある複雑な反応ネットワークである。この複雑な反応ネットワークを【網】と呼ぼう。」

「網こそがこの世界の本姓であって、膜や核は仮の姿としてあるいは一時的な現象として生まれてくる。膜は網の中の一部分が切り取られた自己維持システムであり、核は網の中から全体に影響を与える小さな部分が生まれることによって生じる。だが、一旦膜や核が生まれた後に、その本性が網であることを知覚するのは難しい。」

「膜は資源をある空間に溜め込み、核はある空間内部の資源を制御することを可能にする。本書が試みようとしているのは、この膜をなめらかにし、溜め込む機能を弱くすることである。世界があくまでも代謝ネットワーク(網)であることを思い出し、越境する力強い流れを生み出すことである。」