及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

ミンツバーグ の「戦略クラフティング」を改めて読む

昨晩、私が教えているビジネススクールの修了生・在校生が参加している勉強会のメンバーから、「戦略立案の現場において、実際のところ、どれくらいMECEなファクトベースの分析が使われているのですか。どんなプロセスで戦略は立案されるものなのですか」という質問をいただいた。
質問の背後に、「ビジネススクールを修了した後に実務で、学んだ知識が使いこなせていないのではないか」という焦りのようなトーンを少し感じた。

その質問に対して、私は以下のように思いついたことをコメントした。

「分析は確かに使うんだけれども、ファクトから論理をリニアに積み上げたら戦略が生まれるという感じではないんですよね。」

「定量的なデータも使うけれども、それとともに顧客の生の声といった定性のデータが重要ですよね。データをヒントにしながら洞察やアイディアの仮説をつくり。その仮説からさらに別のデータが気になり、そのデータをヒントに別の洞察やアイディアの仮説が出てきて、といった、行ったり来たりで、あっちこっちにジャンプする探索的な感じですよね。探索していきながら、徐々にいくつかの洞察やアイディアに思考が収斂させていく感じですかね。」

「そして、小さくトライしてみたときの意外な反応や失敗に、しばしば重要なヒントがあるんですよね。例えば…」

「作った戦略は、いわゆるロジカルシンキング的な説明が共有しやすいんだけれども、戦略を作るプロセスは、ロジカルシンキング的なものではなく、むしろミンツバーグがアナロジーで使った、陶芸家のクラフティングのような感じですかね。」

そんなきっかけで、久しぶりにHarvard Business Reviewの1987年7月-8月号で掲載された「戦略クラフティング」を再読した。
https://www.dhbr.net/articles/-/609

「だれかが戦略を計画立案(プランニング)している様子を想像してみよう。ほとんどの人が、論理的に考えているさまを思い浮かべるのではないか。例えば、オフィスで一人または数人の執行役員とそのスタッフたちが机を囲んで、行動の順序や進むべき方向について検討している姿である。そしてほかの人たちは、ここで決められた方向に従い、スケジュール通りに遂行することになる。

 その前提は、理性、合理的な統制、競合他社や市場に関するシステマティックな分析、自社の強みと弱みに関する分析、そしてこれらの分析に基づいた総合的な判断に従って、明快かつ具体的、そして網羅的な企業戦略を策定することにある。」

「次に、だれかが戦略を創作(クラフティング)している様子を想像してみよう。前とはまたく違ったイメージが浮かんでくるだろう。すなわち、工芸制作が機械生産と異なるように、戦略クラフティングも戦略プランニングとは異なる。

 工芸の世界は、長年の伝統技能、一心不乱な姿勢、ディテールへのこだわりによって、初めて完璧となる。戦略クラフティングについて我々の心に浮かんでくるイメージは、思考や理性ではなく、むしろ長い経験、素材への愛着、バランス感覚といったものである。形成していくプロセスと実行するプロセスとが学習を通じて融合し、独創的な戦略へと徐々に発展していく。」

 

戦略が生まれるプロセスを、私たちは、ともすれば前者のプランニングのイメージで捉えがちだが、実は後者のクラフティングのイメージで捉えた方が的確なのではないか、というミンツバーグの問題意識は、教科書的なMBA教育や戦略コンサルティングに対して思いっきりアンチテーゼを投げ込む形となり、発表された当時も、そして今でも、経営学者や経営戦略の立案に携わる方々の話題に上る論文だ。

 

以下、続けて「ミンツバーグがアナロジーで使った、陶芸家のクラフティングのような感じ」が伝わる箇所を備忘・共有のため引用する。

 

「陶芸家は作業場において、ろくろの上の粘土の塊を前に座る。むろんその心は粘土に向かっている。しかし同時に、自分が過去の経験と未来への展望との間に座していることを自覚している。過去にうまくいったケースといかなかったケースは忘れることはない。自分の作品、才能、顧客についてはもれなく承知している。ただし陶芸家である彼女は、これらについて分析するというよりも、むしろ感じ取っていると言えるだろう。

 この陶芸家の知識は暗黙のものといえよう。その手は粘土をいじっているが、これらの知識がその頭の中で飛び交っている。ろくろの上の作品がその形を現す際、おそらくはこれまでの作品の延長線上のものなのだろうが、時には従来の殻を破り、新たな方向を指し示すこともありうる。それでもなお、過去は厳然として存在しており、概して未来は過去を反映する。

 マネージャーが陶芸家であれば、戦略は粘土である。そして、自分のケイパビリティという過去と市場の可能性という未来の間に座っている。陶芸家と同じく、みずからが置かれた状況において、手持ちの経営資源に関する知識を活用することだろう。このプロセスこそ、私が主張する『戦略をクラフティングする』ことにほかならない。」

「いわゆる戦略プランニングは、その実体通りに理解すべきである。戦略を創造する行為ではなく、既存の戦略をプログラム化し、実施させる手段に過ぎないのだ。本質的にそれは、要素還元的な分析作業である。一方、戦略の創造は総合化である。したがって、戦略プランニングの場合、既存の戦略の化粧直しか、ライバルの戦略の模倣に終わる羽目になる。」

「もちろん、プランナーが戦略の創造にまったく貢献しないと申し上げているのではない。例えば、別の手段で、創造された戦略をプログラム化したり、客観的なデータをもれなく考慮するよう、戦略立案プロセスの最前線において適宜分析を加えたりする。また、他の人々を戦略的に思考することを後押しする。

 プランナーが現実に触れながら創造的に思考する人物である限り、戦略家たりうる。もちろん、形式的なプランニングの技法は無関係である。」

 「もしプランニングによって戦略を創造できると考えるマネージャーがいたならば、ビジネスの現場に関する知識に乏しいか、そのような知識を活用できるだけの創造性が欠けていると見て良いだろう。

 工芸家は、他人が見逃してしまうような事象を観察したり察知したりできるよう、鍛錬を重ねなければならない。戦略クラフティングにも同じことが要求される。すなわち、何か事が起こりかけた時には、それを鋭く感知し、最大限活用できるよう、多様な視点から観察できる能力を鍛えることである。」

「マンハッタン島の役員室であろうと、モントリオールの工房であろうと、戦略を管理するためのカギは、創発してくるパターンを認識し、それが形成されるのを促す能力である。

 マネージャーの職務は、特定の戦略をあらかじめ着想するのみならず、組織のそこかしこで形成されつつある戦略のパターンを認識し、適宜必要に応じて手をさしのべることである。ただし、庭に思いがけず生えてくる雑草のように組織内で創発されてくる戦略には、即座に抜き取ってしまうべきものもあるだろう。」

“プランナーが現実に触れながら創造的に思考する人物である限り、戦略家たりうる”とミンツバーグ さんに励ましていただいたので、私も戦略家たりうるよう頑張ろう、と改めて思った再読でした。