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「サピエンス全史」と「世界史の構造」を改めて読む

現在起こっている戦争を目にしながら、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」と柄谷行人の「世界史の構造」の「戦争」に関連する部分を改めて読み返し、気になった部分を備忘として引用します。

 

まず、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」の第18章「国家と市場経済がもたらした世界平和」から。

 

“ ごく少数の例外を除けば、世界の国々は1945年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった。巨大帝国の多くは、征服によって建設されてきたのであり、大半の支配者も人民も、この状況が変わることはないと考えていた。だが今日では、ローマやモンゴル、オスマントルコのもののような征服を目的とした軍事遠征は、もはや世界のどこにおいても起こり得ない。1945年以降、国連の承認を受けた独立国家が征服されて地図上から消えたことは一度もない。国家間の限定戦争〔相手の殲滅を目指すことなく、その目的や、攻撃の範囲や目標、手段などに一定の制限を設けた戦争〕は、今なおときおり勃発するし、何百万人もの人が戦争で命を落としているが、戦争はもう、当たり前の出来事ではない。”

 

“ 学者たちはこの喜ばしい展開を説明しようと、うんざりして読む気も起こらないほど多くの本や論文を書き、この展開に寄与した要因のいくつかを突き止めた。まず何をおいても、戦争の代償が劇的に大きくなったことが挙げられる。今後あらゆる平和賞を無用にするために、ノーベル平和賞は、原子爆弾を設計したロバート・オッペンハイマーとその同僚たちに贈られるべきだった。核兵器により、超大国間の戦争は集団自殺に等しいものになり、武力による世界征服をもくろむことは不可能になった。”

 

“ 第二に、戦争の代償が急騰する一方で、戦争で得られる利益は減少した。歴史の大半を通じて、敵の領土を略奪したり併合したりすることで、政体は富を手に入れられた。そうした富の大部分は、畑や家畜、奴隷、金などが占めていたので、略奪や接収は容易だった。今日では、富は主に、人的資源や技術的ノウハウ、あるいは銀行のような複合的な社会経済組織から成る。その結果、そうした富を奪い去ったり、自国の領土に併合するのは困難になっている。”

 

“ 戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにないほどの利益が挙がるようになった。伝統的な農耕経済においては、遠隔地との取引や外国への投資はごくわずかだった。そのため、戦費の支出を免れることを除けば、平和にたいした得はなかった。16世紀にもし日本と朝鮮が有効的な関係にあったなら、朝鮮の人々は戦争のために重い税を支払うことも、日本の侵略による惨禍に苦しむこともせずに済んだだろうが、それを除けば、彼らに経済的な利益はなかった。現代の資本主義経済では、対外貿易や対外投資はきわめて重要になった。したがって、平和は特別な配当をもたらす。日本と韓国が友好的な関係にあるかぎり、韓国の人々は製品を日本に売り、日本の株式を売買し、日本からの投資を受けることで、繁栄を謳歌できる。”

 

“ 最後になったが、他に劣らず重要な要因として、グローバルな政治文化に構造的転換が起こったことが挙げられる。歴史上、フン族の首長やヴァイキングの王侯、アステカ帝国の神官をはじめとする多くのエリート層は、戦争を善なるものと肯定的に捉えていた。一方で、うまく利用すべき必要悪と考える指導者もいた。現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている。”

 

“ 以上の四つの要因の間には、正のフィードバック・ループが形成されている。核兵器による大量虐殺の脅威は、平和主義を促進する。平和主義が広まると、戦争は影を潜め、交易が盛んになる。そして交易によって、平和の利益と戦争の代償はともに増大する。時の経過とともに、このフィードバック・ループは、戦争の歯止めをさらに生み出す。最終的にその歯止めは、あらゆる要因の中で最大の重要性を持つことになるかもしれない。国際関係が緊密になると、多くの国の独立性が弱まり、どこかの国が単独で戦争を仕掛ける公算が低下するのだ。大半の国々が全面戦争を起こさないのはひとえに、もはや単独では国としては成り立ち得ないという単純な理由による。”

 

 ハラリがここで見出す戦争の代償、戦争で得られる利益、平和の利益、平和を愛する政治文化の四つの要因による正のフィードバック・ループは、今日において戦争を行わないことの合理性を確かに強化しているように感じます。

 この考え方に基づくと、もし現在起こっている戦争が「利益-代償」の合理性の判断に基づいて展開されているならば、この四つの要因に対する認知を変えるきっかけを提供することにより、解決する希望がありそうです。

 

次に、柄谷行人の「世界史の構造」の第四部「現在と未来」の第二章「世界共和国へ」から。

 

“ ここでわれわれが考えるべきなのは、世界国家(帝国)のように至上の主権者をもつことなく、諸国家が連邦したままで「国際法」あるいは「万民の法」に従うということがいかにして可能になるのか、という問題である。ホッブス的な考えでは、それはあり得ない。国内でそうであったように、戦争を通して権力を独占した主権者の下に、各国が「社会契約」を交わすときに、平和状態が可能となる。そうでなければ、諸国家の連邦では、国際法に対する違反を咎めるすべがない。たとえば、ヘーゲルはそのように考えた。”

“ しかし、カントは、ヘーゲルがいうように、「理想論」をナイーブな観点から唱えたのではない。カントはヘーゲルとは違った意味で、ホッブスと同様の見方をしていた。つまり、人間の本性(自然)には、「反社会的社会性」があり、それをとりのぞくことはできないと考えていた。この点で、カントをホッブスと対照的に見るのは、あまりにも浅薄な通念である。カントが永遠平和のための国家連合を構想したとき、暴力にもとづく国家の本性を容易に解消することはできないという認識に立っていた。だが、彼は世界共和国という統整的理念を放棄するのではなく、徐々にそこに近づけばよいと考えたのである。諸国家連邦はそのための第一歩である。 

 しかも、カントは諸国家連邦を構想しつつ、それが人間の理性や道徳性によって実現されるとは全く考えなかった。それをもたらすのは、人間の「反社会的社会性」、いいかえれば、戦争だと、カントは考えたのである。”

 

“ 19世紀末に、帝国主義とともに、カントの諸国家連邦論が復活してきた。そして、それがある程度実現されたのが、第一次世界大戦後の国際連盟である。それをもたらしたのは、カント的な理想というよりも、第一次世界大戦において、彼がいう人間の「反社会的社会性」が未曾有の規模で発現されたことによってである。

 国際連盟は、それを提案したアメリカ自身が批准しなかったため無力で、第二次世界大戦を防ぐことができなかった。しかし、第二次世界大戦の結果として、国際連合が形成された。つまり、カントの構想は、二度の世界大戦を通して、つまり、「自然の狡知」によって達成されたのである。”

 

“ 第二次世界大戦後に結成された国際連合は、国際連盟の挫折の反省に立っているが、やはり無力である。国連は、それを通して有力な諸国家が、自己の目的を実現する手段でしかない、という批判があり、また、国連は独自の軍事組織がないため、軍事力をもった有力な国家に依拠するしかない、という実情がある。そして、国連への批判はいつもカントに対するヘーゲルの批判に帰着する。すなわち、国連によって国際紛争を解決しようという考えは「カント的理想主義」にすぎないと言われるのである。もちろん、国際連合は無力である。だからといって、それを嘲笑して無視しつづけるならば、どういうことになるか。世界戦争である。しかし、それは新たな国際連合を形成するということに帰結するだろう。したがって、カントの見方には、ヘーゲルのリアリズムよりも、もっと残酷なリアリズムがひそんでいる。”

 

“ 諸国家連邦では、諸国家の対立や戦争を抑止することができない。実力を行使しうる国家を認めないからだ。だが、カントによれば、その結果として生じた戦争が、諸国家連邦を強固にする。諸国家の戦争を抑えるのは、他に抜きんでたヘゲモニー国家ではない。諸国家間の戦争を通して形成された諸国家連邦なのである。”

 

 柄谷がカントに見出している「諸国家連邦」という希望は、「反社会的社会性」=戦争自体を避けることはできないが、それを通じて徐々に強固になるものとされています。
 この考え方に基づくと、もし今回の戦争が、合理性の判断ではなく人間の本性に基づいて展開されているならば、残念ながらそう簡単には解決しないかもしれません。