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論理実証主義と反証主義

少し前にカール・ポパーの『科学的発見の論理』を読んでいて、その中で、ポパーが確率論に基づく帰納法について長々と批判をしている部分など、いまいち文脈が理解できていない部分があったのですが、野家啓一の『科学哲学への招待』の第9章「論理実証主義と統一科学」、第10章「批判的合理主義と反証可能性」のあたりを読んだおかげで、ポパーは、論理実証主義の完成形である「仮説演繹法」の中の帰納法の部分に対して

  • 仮説を発見・提起する部分では、観察から帰納法的な手順を踏んで導かれる仮説って小粒なものばかりにならない?むしろ自在にジャンプした発想に基づく仮説の方が面白いのでは?
  • 仮説を正当化・立証する部分では、「検証可能性」にこだわって「有限個で証明された法則が過去・現在・未来のすべてで再現することが証明できない問題」という帰納法の矛盾を回避するために確率論を持ち込まないでも、「反証可能性」によって演繹法の論理学で問題が解けるのでは?

 

と主張していたことが理解できました。

 

以下、第9章「論理実証主義と統一科学」、第10章「批判的合理主義と反証可能性」の関連する部分についての備忘メモです。

 

論理実証主義

  • ウィーン大学の哲学教授M・シュリックを中心に、O・ノイラート、H・ライヘンバッハ、R・カルナップら哲学の革新を唱える自然科学者や哲学者たちが、「ウィーン学団」を立ち上げた
  • ノイラートとカルナップが中心となって起草した「科学的世界把握」と題された宣言文の中で、「科学の中にはいかなる深さも存在しない。いたるところが表面である。人間にとってはすべてが到達可能であり、人間こそが万物の尺度である。科学的世界把握はいかなる解決不可能な謎も知らない」と書かれているように、深遠さを説く従来の科学哲学に対して真正面から反旗を翻し、「論理実証主義 (logical positivism)」を提唱した
  • 論理実証主義の「実証」の側面は、あらゆる知識は感覚的経験によって確かめられなくてはならないというE・マッハの思想と、B・ラッセルやL・ヴィトゲンシュタインによって提起された論理分析の方法とを結びつけ、それを基に科学知識のあり方を解明しようと試みた。これが今日の科学哲学・科学基礎論の出発点である
  • ウィーン学団はまず、これまでの哲学が心理学と論理学とを明確に区別してこなかったことを批判した。例えばライヘンバッハは、科学研究における「発見 (discovery) の文脈」と「正当化 (justification) の文脈の明確に区別することを求めた
  • 仮説の発見は論理的なアルゴリズムに従ってなされるものではなく、むしろ研究者の心理状態や置かれている社会状況などに大きな影響を受けるものであるという考え方に基づき、ライヘンバッハは、「発見の文脈」は心理学や社会学に関する問題であり、論理学的・哲学的な問題には属さないとした。そして、科学哲学が関わる場面を「正当化の文脈」、つまり提起された仮説の正しさを論証する場面のみに限定されるべきであると主張した
  • さらに、心理学と論理学の混同の背景には、経験的根拠を欠く形而上学が控えていると主張し、「形而上学の除去 (elimination of metaphysics) 」というスローガンを掲げた
  • 論理実証主義は、一方では「科学認識論的基盤の確立」という科学の側からの要求に応えようとするもの (科学についての哲学 [philosophy of science])であったと同時に、科学の成果を無視した古色蒼然たる伝統的形而上学を否定しようという哲学内部の革新運動 (科学的哲学 [scientific philosophy])でもあった
  • 論理実証主義は、E・カントの「ア・プリオリな総合命題」は形而上学的な命題であり、われわれの認識から排除されねばならないと考え、有意味な命題は経験的手続きによって検証可能でなければならないというテーゼを提唱した。例えば「神は完全である」や「魂は不死である」といった形而上学の命題は、経験的な検証方法が不明であるため、無意味な命題として科学からは追放されることになる。つまり、有意味な科学的命題と無意味な形而上学的命題とを区別する基準を「検証可能性」の概念に求めた。これは「意味の検証可能性 (verifiability) テーゼ」と呼ばれる
  • しかしながら、この「検証可能性」という基準は、われわれが実験的に検証できるのは有限個の事例であるため、「すべてのSはPである」という無限個の事例を含む全称命題の形をした科学的法則を完全に検証することはできず、よって科学法則すら無意味な命題とされてしまうという困難があった
  • この困難を回避するために、ウィーン学団のリーダーであったカルナップは、検証という強すぎる概念を「確証 (confirmation)」という確率に言及する概念で置き換えることを試みた
  • ウィーン学団の論理実証主義において「意味の検証可能性テーゼ」と並んでもう一つ柱となるのは、すべての科学を一つの方法によって統一しようという「統一科学 (Einheitswissenschaft)」の考え方である
  • 自然科学と社会科学、さらには人文科学までをも一つの方法によって統一しようという統一科学理論の背後にあるのは、物理学の方法を基礎とした還元主義 (reductionism) の思想である。例えば、人間の集団である社会は個人間の関係の総和でしかないと考える(方法論的個人主義)ならば、人間の集団を扱う社会学の法則は個人の心理を扱う心理学の法則によって説明可能であることになる。こうして社会学はより基礎的な分野である心理学に還元され、さらに人間の心理状態が生理的状態によって規定されているとすれば、心理学の法則はより基礎的な生理学の法則に還元されることになる。このように遡っていけば、生理学は生物学へ、生物学は化学へ、化学は物理学へ、という形でその説明レベルをより基礎的な分野へと還元できるように思われる
  • ウィーン学団の中心メンバーであったC・G・ヘンペルは、一般法則と初期条件を「説明項」、個別的出来事を「非説明項」とし、初期条件Cを「原因」、個別的出来事を「結果」とし、それらの間を一般法則が媒介している科学的説明  (「被覆法則モデル [covering law model]」あるいは「演繹的-法則的説明 [deductive-nomological explanation]」) を定式化し、説明において、一般法則が果たす役割は、人文・社会学を問わず構造的に同じであり、およそ説明が「科学的」なものである限り、このモデルを満足させなければならないと主張した
  • 「統一科学」を普及させるために、ウィーン学団のメンバーたちは『統一科学百科全書』と言うタイトルの一連の著作シリーズの刊行を企画したが、自由主義者やユダヤ人の多かったウィーン学派は、1933年にヒットラーが政権を握るや、ナチスの弾圧によって活動の中断を余儀なくされ、主要なメンバーはアメリカに亡命せざるを得なかった。その後、シカゴ大学に職を得たカルナップらを中心として、「ウィーン=シカゴ学派」が再結成され、統一科学運動はアメリカにおいて再開された

 

反証主義

  • 「形而上学の除去」をスローガンにした論理実証主義者たちは、「検証可能性」という概念を旗印に伝統的な哲学の改革を大胆に押し進めようとした。すなわち、有意味な命題は経験的に検証可能でなければならないとして、検証可能性の有無を基準に、有意味な科学的命題と無意味な形而上学的命題を峻別しようとしたのである。K・ポパーは、このような論理実証主義の考え方を内在的に批判し、克服しようとした
  • 1934年にドイツ語で執筆した『探求の論理』を英訳し1959年に出版した『科学的発見の論理』において、ポパーは帰納法を否定し、検証に代わる反証 (falsification) という概念を提示した
  • 経験的データを収集すれば、そこから帰納法を通じて科学的法則が見出せるというF・ベーコン的な考え方をベースとして成立した仮説演繹法 (帰納法と演繹法の長所を取って組み立てられた方法論) の中の、観察によって収集されたデータから帰納法によって仮説を提起する部分に対して、そもそも何をどのように観察するかという一定の論理的な前提がない限り観察という行為は成立しないということから批判した。そして、科学は観察から始まるのではなく、むしろ探究されるべき問題や疑問から出発するものであるとし、純粋に演繹的な方法だけで科学的な探究のプロセスを捉えた。例えば、問題として未知の自然現象の説明を求められたとすると、われわれはその問題を解決するために暫定的な仮説を提起する。この仮説の提起が推測の段階であり、推測の段階では帰納法を必要としないばかりか、科学的な手続きである必要もない。神からの啓示であれ夢のお告げであれ、ともかく問題解決のための仮説が発想されることが重要である
  • ある仮説から導かれるテスト命題の正しさを実験的証拠に基づいて示すことにより、もとの仮説の正しさを証明する手続きである検証の論理構造は、
    (1a) 仮説Hが真であるならば、テスト命題Tは真である
    (2a) テスト命題Tは真である
    (3a) ゆえに、仮説Hは真である
    という推論である。この推論は、「H→T」と「T」という二つの前提から「Hという結論を導き出す「後件肯定の誤謬」の推論となっている(例:「ある図形が正三角形ならばそれは二等辺三角形である」「その図形は二等辺三角形である」故に「それは正三角形である」という推論)。よって、テスト命題の正しさを実験的証拠に基づいて立証しても、もとの仮説の正しさを立証されない。
    これに対し、「反証」とは、ある仮説から導かれたテスト命題が偽であることを実験的証拠を通じて示すことにより、もとの仮説の正しさを否定する、という手続きである。その論理構造は、
    (1b) 仮説Hが真であるならば、テスト命題Tは真である
    (2b) テスト命題Tは偽である
    (3b) ゆえに、仮説Hは偽である
    という推論である。この推論は、「H→T」と「-T」という二つの前提から「-H」という結論を引き出す「否定式 (modus tollens)」であり、これは健全な論証である。
    つまり、たった一つでも反例 (counter example) が見つかれば、もとの仮説の誤りを立証できる。これは「検証と反証の非対称性」と呼ばれている
  • 科学の本質は、推測によって大胆な仮説を提起し、その仮説をあらゆる科学的手段に訴えて反駁しようとする、この推測と反駁の繰り返しにある、というのがポパーの科学観であり、このような試行と誤謬排除 (trial and error elimination) のプロセスの中にこそ科学的方法の特徴がある、とポパーは考えた
  • さらにポパーは、科学と非科学との境界設定 (demarcation) を「反証可能性 (falsifiability)」によって試みる。反証可能性とは「当の仮説と矛盾する観察命題が論理的に可能であること」を意味するが、この度合いが高ければ高いほど、その仮説は「科学的」であり、逆に低ければ低いほど、その仮説は「非科学的」であると考えた。例えば、「明日は雨が降るか降らないかのいずれかである」という天気予報は誤りようのない予報であり、この予報と矛盾するような状況を考えにくい、すなわち反証可能性が低いが、これに対して、「明日の午前中は晴れるが、昼から雨になり、夕方には雪が降る」という天気予報は、例えば明日の午前中に雨が降ったり、夕方になっていても晴れていれば、明白に反証される、すなわち反証可能性が高い
  • ポパーの「反証可能性」による科学と非科学の境界設定の基準によれば、例えば、マルクスの経済理論やフロイトの精神分析理論のように、反例が示されても理論の誤りを認めず、反証を回避する戦略を採るような理論は、非科学的なものとみなされることとなり、アインシュタインの一般相対性理論のように、大胆な仮説を反証可能な仕方で提示する理論は高度に科学的なものと見なされる
  • 科学を科学たらしめているのは、反証可能性とそれを支える「批判的方法」であり、「批判的方法」が十分に機能するためには。その前提としてわれわれが「批判的理性」を持たなければならず、「批判的理性」が十分に機能するためには、自由に意見を戦わすことができる「開かれた社会」が存在しなければならない。ポパーは、この科学哲学と社会哲学を融合させた立場を、「批判的合理主義」と名づけている

 

資料: 野家啓一(2015)『科学哲学への招待』筑摩書房