及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

楽しいことを考えている方が良いアイデアが出る

Waseda Business Schoolの修了生と輪読している、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」の中で、ともすれば私たちの合理的な判断を阻んでいる”悪役”として描かれていた「システム1」が脚光を浴びる部分がある。

 

この話は、心理学者のサルノフ・メドニックが1960年頃に「遠隔性連想検査(RAT)」を考案したところから始まる。RATの代表的な例は、三つの単語すべてから連想される単語があるかどうかを測定する方法である。たとえば、以下の二つの組み合わせを見てみよう。

  • 「ダイビング」「青」「ロケット」
  • 「夢」「ボール」「本」

1)については、英語を母語とする人ならば誰でも認める正解がある。「ダイビング」から「スカイダイビング」を、「青」から「青空」を、「ロケット」から「スカイロケット」を連想するので、「空」である。ただし、15秒以内に「空」と答えた被験者は20%以下であった。

その一方で、2)については、誰もが納得する一つの答えは出ていない。すなわち、正解がない。

 

最近ドイツで複数の心理学者チームがRATに基づいて行った研究によると、人間には、三つの単語を見て正解を思いつく前に、その問題に正解があるかどうかを「感じる」能力があるらしい。

三つの単語に関連性がある(=正解がある)問題と、関連性がない(=正解がない)問題を、それぞれの問題ごとに2秒という、正解を思いつくには短すぎる時間で、正解が「ある」か「ない」かのボタンを押す実験において、偶然にしては出来すぎるほど正確な結果が出た。

人間の中にある「連想記憶マシン」(=システム1)は、どうやら、三つの単語の中に関連性があり、一つの連想を共有していることを、当の連想が呼び出される(=システム2)よりも前から「知っている」らしいのである。

ちなみに、三つの単語の組み合わせがずらりと並んだリストを上から読み、一行読み終わるごとにスペースバーを押すという別の実験では、被験者が正解の「ある」問題を見たときに、顔の筋肉の電気的刺激を測定すると、少し笑顔になっていたそうである。人間の中にある「連想記憶マシン」から送られるかすかなシグナルが、「認知しやすい」という感覚(認知容易性)を生み出し、そこから「心地よさ」を感じているらしい。

 

ところで、この「連想記憶マシン」は、そのときの「気分」によって性能の発揮のされ方が違うらしい。

最初の2秒でボタンを押す実験に話を戻すと、検査前に楽しいことを考えてもらった被験者は、解答の正確さが二倍に向上したが、検査前に悲しいことを考えてもらった被験者は、でたらめとほとんど変わらない結果となったのである。「システム1」のパフォーマンスは、私たちが楽しいことを考えて上機嫌であるときほど発揮され、悲しいことを考えて不機嫌だったり失望を感じていたりするときほど発揮されなくなるのである。

 

この関係の整理は、今回の勉強会で発表してくださった吉田 公亮さんが整理したチャートがわかりやすかったので引用する。

 

「上機嫌」「直感」「創造性」あるいは「騙されやすさ」といった観測変数に共通する潜在変数と、「不機嫌」「失望感」「不眠」「猜疑心」「分析的アプローチ」あるいは「努力の投入」といった観測変数に共通する潜在変数があり、前者は「システム1」を促進するが「システム2」を阻害し、後者は「システム2」を促進するが「システム1」を阻害するという関係である。

RATが測定している、三つの単語に関連性があるかどうかを「システム1」が瞬時に見極める能力は、これまで「システム2」が気づいていなかった、あるものとあるものの間の意外な関連性を見つけること(例: シュンペーターの「非連続的に現れる新結合」や、ノーウッド・ラッセル・ハンソンが定式化した「アブダクション(abduction)」)に通じるものがありそうだ。

とするならば、私たちが革新的なアイデアを出そうとするならば、MBAで教えられているようなモデルやフレームワークを駆使した分析的なアプローチで頭を動かすのではなく、むしろ、そんなモデルやフレームワークを忘れて、楽しいことを考えて上機嫌な状態にしながら自らの「システム1」を開放した方が良さそうだ。

あるいは、モデルやフレームワークが、「努力の投入」がなくても上機嫌な状態で自然に運用できるようになっていて、目の前に見えている事象との関連性が「システム2」が登場しなくても見出せるようになっているならば、MBAで学んだことが、アイデアの深化(戦略シナリオの構築、事業計画の立案)だけではなく、アイデアの探索にも使えるようになるのかもしれない。

 

資料: Daniel Kahneman (2011), Thinking, Fast and Slow (村井章子訳「ファスト&スロー」早川書房、2012年)