及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

集合体(=アジャンスマン、アサンブラージュ、アレンジメント)の定義と二軸の説明の例

 Hoffman and Novak (2018)の、スマート・オブジェクトと消費者の間の相互作用を集合体理論(assemblage theory))によって記述するパースペクティブを提案した論文をきっかけに、ドゥルーズとそれを解釈したデランダの集合体(=アジャンスマン、アサンブラージュ)とそれを方向づける二軸についての議論から、比較的定義に近い説明の例をメモ。

集合体(=アジャンスマン、アサンブラージュ、アレンジメント)についての説明の例

Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1980). Mille Plateaux. Paris: Les Editions de Minuit. (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)における説明の例:

”それは一個の多様体なのだ──とはいえ〈多〉が、もはや何にも帰属しないとき、つまり実詞の状態にまで高められるとき、何をもたらすか、まだわかっていないのだ。機械状アレンジメントは地層の方へ向けられており、地層はこのアレンジメントをおそらく一種の有機体に、あるいは意味作用を行なう一個の全体に、あるいは一個の主体に帰属しうる一つの規定にしてしまう。しかしこのアレンジメントはまた器官なき身体の方へも向けられており、こちらはたえず有機体を解体し、意味作用のない微粒子群や純粋な強度を通わせ循環させ、そしてみずからにもろもろの主体をたえず帰属させ、それらの主体には強度の痕跡として一個の名だけを残すのだ。”

DeLanda, Manuel (2006), A New Philosophy of Society: Assemblage Theory and Social Complexity, London: Continuum.(篠原雅武(2015)『社会の新たな哲学 - 集合体、潜在性、創発』人文書院)における説明の例:

”歴史的な固有性を創出し安定させる過程としての集合体(assemblage)にかんする議論は、20世紀の終わり間際の数十年の時期に、哲学者ジル・ドゥルーズがつくりだしたものである。この理論は、異種混淆的な部分から構成される多種多様な全体へと適用されるべき意図されている。原子や分子から、生物学的な組織、種、システムにまでおよぶ実体は、集合体とみなされることになるだろうし、結果として、歴史的な過程の産物である実態とみなされることになるかもしれない。このことはもちろん、「歴史的なもの」という用語が、ただ人間の歴史だけでなく、宇宙や進化の歴史をも含むものとして使われているということを、意味している。集合体の理論はまた、社会的な実態にも適用されるかもしれないが、社会が自然と文化の境界にまたがるという事実こそが、この理論が実在論的なものであることを証明する。”

DeLanda, Manuel. "Deleuzian Social Ontology and Assemblage Theory." Deleuze and the Social (2006): 250-266. における説明の例:

”What is an assemblage? The key idea in Deleuze’s theory is the exteriority of relations. This implies not only that relations are external to their terms, but also that ‘a relation may change without the terms changing’ (Deleuze and Parnet 2002: 55). In other words, assemblages are not Hegelian totalities in which the parts are mutually constituted and fused into a seamless whole. In an assemblage components have a certain autonomy from the whole they compose, that is, they may be detached from it and plugged into another assemblage. On the other hand, assemblages must be defined not only negatively, by opposing them to organic totalities, but also by their positive characteristics. 

(日本語訳)
アサンブラージュとは何か?ドゥルーズの理論における鍵となる考えは、「関係の外在性」である。これは、関係がその要素に対して外在的であるだけでなく、「関係が変わっても要素自体は変わらない」(Deleuze and Parnet 2002: 55) ことを意味する。言い換えれば、アサンブラージュは、部分が相互に構成され、継ぎ目のない全体として融合するヘーゲル的な全体性ではない。アサンブラージュにおいて、構成要素は全体に対して一定の自律性を持ち、全体から切り離され、別のアサンブラージュに接続される可能性がある。一方で、アサンブラージュは有機的全体性と対立することでのみ定義されるのではなく、その積極的な特徴によっても定義されなければならない。”

DeLanda, Manuel. Assemblage Theory. Edinburgh University Press, 2016. における説明の例:

”What is an assemblage? It is a multiplicity which is made up of many heterogeneous terms and which establishes liaisons, relations between them, across ages, sexes and reigns – different natures. Thus, the assemblage’s only unity is that of a co-functioning: it is a symbiosis, a ‘sympathy’. It is never filiations which are important, but alliances, alloys; these are not successions, lines of descent, but contagions, epidemics, the wind. 

(日本語訳)

アサンブラージュとは何か?それは、多様な異質な要素から成り立つ複数性であり、それらの間に時代や性別、支配するものの違いを超えて、関係や結びつきを確立するものである。したがって、アサンブラージュの唯一の統一性は、共に機能すること、すなわちシンビオシス(共生)であり、「共感」である。重要なのは常に系譜ではなく、同盟や合金であり、それは継承や血統の線ではなく、伝染や流行、風のようなものである。”

 

集合体(=アジャンスマン、アサンブラージュ、アレンジメント)を方向づける二軸の説明の例

Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1980). Mille Plateaux. Paris: Les Editions de Minuit. (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)における説明の例:

”ここから、われわれは〈アレンジメント〉の性格について一般的な結論を引き出すことができる。第一の水平的な軸にしたがえば、一つのアレンジメントは二つの切片を含む。内容の切片と表現の切片である。一方でそれは、身体の行動、受動の機械状アレンジメントであり、たがいに作用しあう身体の混合である。他方ではそれは、言表行為の、つまり行為と言表の集団的アレンジメントであり、身体に向けられる非身体的変形である。しかし、方向づけられた垂直の軸にしたがえば、アレンジメントは一方では、これを静止させる領土的または再領土化された側面をもち、他方ではそれを上回る脱領土化の先端をもっているのだ。”

DeLanda, Manuel (2006), A New Philosophy of Society: Assemblage Theory and Social Complexity, London: Continuum.(篠原雅武(2015)『社会の新たな哲学 - 集合体、潜在性、創発』人文書院)における説明の例:

"集合体の概念は、諸関係の構成要素が外在性だけでなくさらに二つの次元で規定される。そのうちの一つの次元ないし軸は、集合体の構成要素が果たすことになる可変的な役割を規定するが、その軸の一方は純粋に物理的な役割があり、他方の軸には純粋に表現的な役割がある。これらの役割は可変的だが、混合された状態で生じることもあるかもしれない。すなわち、所与の構成要素が、さまざまに異なった能力の組み合わせを行使することで、物質的な役割と表現的な役割の混合を担う、というように。もう一つの次元は、こういった構成要素が関与していく、可変的な過程を規定する。その過程は、集合体の同一性を、内的な同質性の度合いか境界の鋭さの度合いを高めることで、安定させるかもしくは不安定化にする。安定化の過程は領土化の過程と呼ばれ、後者の不安定化は脱領土化の過程と呼ばれる。一つの同じ集合体には、その同一性を安定化させるべく作動する構成要素だけでなく、同一性に変化するよう強制するか、異なった集合体へと変容させる構成要素がある。事実、一つの同じ構成要素は、他方のさまざまな組み合わせを行使することで、両方の過程に関与するだろう。"

DeLanda, Manuel. "Deleuzian Social Ontology and Assemblage Theory." Deleuze and the Social (2006): 250-266. における説明の例:

"Deleuze and Guattari characterise assemblages along two dimensions: on one axis or dimension, they distinguish the role which the different components of an assemblage may play, a role which can be either material or expressive; on the other axis, they distinguishes processes which stabilise the emergent identity of the assemblage (by sharpening its borders, for example, or homogenising its composition) from those which tend to destabilise this identity, hence opening the assemblage to change. These are processes of territorialisation and deterritorialisation, respectively (Deleuze and Guattari 1987: 88).2 In addition, Deleuze and Guattari make an important distinction among the expressive components, between those which are directly expressive and those which rely on a specialised vehicle for expression, such as human language or the genetic code. In the case of social assemblages, there are many aspects of both experience and behaviour which are directly expressive but which in today’s analyses are all lumped together under the label ‘symbolic’. In an assemblage approach it is crucial that those expressive components be given their own separate status and that linguistic components be considered a separate, specialised assemblage.

(日本語訳)

ドゥルーズとガタリは、アサンブラージュを2つの次元で特徴付けている。1つの軸、あるいは次元においては、アサンブラージュの異なる構成要素が果たす役割を区別し、その役割は物質的であるか表現的であるかのいずれかである。もう1つの軸では、アサンブラージュの出現するアイデンティティを安定化させるプロセス(例えば、その境界を明確にしたり、構成を均質化する)と、そのアイデンティティを不安定にし、アサンブラージュを変化に開く傾向のあるプロセスとを区別している。これらはそれぞれ、領土化と脱領土化のプロセスである(Deleuze and Guattari 1987: 88)。さらに、ドゥルーズとガタリは、表現的な構成要素において重要な区別をしており、直接的に表現されるものと、例えば人間の言語や遺伝コードのように、表現のための特化した媒体を必要とするものを分けている。社会的アサンブラージュの場合、経験や行動の多くの側面が直接的に表現されるが、現代の分析ではそれらがすべて「象徴的」というラベルで一括りにされている。アサンブラージュのアプローチでは、これらの表現的構成要素にそれぞれ独自の地位を与えること、そして言語的構成要素を別個の、特化したアサンブラージュとして考えることが重要である。"

DeLanda, Manuel. Assemblage Theory. Edinburgh University Press, 2016. における説明の例:

"The authors refer to the assemblage of bodies as a ‘machinic assemblage’, the term ‘machinic’ meaning the synthesis of heterogeneities as such (ibid., p. 330). In this book the distinction between machinic and collective assemblages is treated as the distinction between material and expressive components. The authors sometimes express themselves that way: ‘We think the material or machinic aspect of an assemblage relates not to the production of goods but rather to a precise state of interminglings of bodies in society.

(日本語訳)

著者たちは、身体のアサンブラージュを「機械的アサンブラージュ」と呼び、「機械的」という言葉は異質なものの統合を意味している(ibid., p. 330)。本書では、機械的アサンブラージュと集団的アサンブラージュの区別は、物質的構成要素と表現的構成要素の区別として扱われている。著者たちは時々このように述べている。「私たちは、アサンブラージュの物質的あるいは機械的側面は、商品生産ではなく、むしろ社会における身体の正確な混合状態に関係していると考える。」"

Hoffman and Novak (2018)のスマート・オブジェクトと消費者の間の相互作用についてのパースペクティブ

AIがもたらす新たな消費者行動について考える際に、Hoffman and Novak(2018)の、スマート・オブジェクトと消費者の間の相互作用を集合体理論(assemblage theory))によって記述するパースペクティブを提案した論文 "Consumer and Object Experience in the Internet of Things: An Assemblage Theory Approach" が参考になりそうだと感じたので、このパースペクティブについて整理した。

 

1) なぜ「スマート・オブジェクト」に関する議論が、AIがもたらす新たな消費者行動について考える際の参考になりそうか?

  • スマート・オブジェクトは、主体性(agency)、自律性(autonomy)、権限(authority)といった特性(properties)を持つ
    • 主体性は、他の存在との間で相互作用があり、その存在に影響を与えたり、その存在から影響を受けたりしていること
    • 自律性は、人間の介入なしに独立して機能し、他の存在と独立して相互作用し、「自らの目的を追求」していること
    • 権限は、主体性と自律性を持つ存在が、他の存在に対してどのように反応するか、あるいは、他の存在がその存在にどのように反応するかを制御していること
  • 生成AIを活用したプラットフォームの代表的なイメージとして挙げられる「会話型コマース(conversational commerce)」も、消費者との対話的なプロセスを通じて購買検討や購買を支援する際に、主体性、自立性、権限といった特性を持つ

 

2) 「集合体理論」とは何か?

  • ざっくり言うと、本来多様体である集合体を、安易にわかりやすい主題やモデルに還元(例: 複数の主体で構成される集合体を、ある主題に帰属させたり、「神」のような人間にとってわかりやすいモデルに当てはめたり)せずに、いかに多様体として記述するかを重視するアプローチ(Deleuze and Guattari 1987) である
  • DeLanda (2002)は、人間中心主義を批判し、現実を人間の認識に依存しない独立した存在と位置づけている。そして、人間がオブジェクトに対して見出す超越的な実体(例: その同一性を担保している核となる特性で記述される本質)を排除して、オブジェクトを、ダイナミックなプロセスにおいて捉える存在論を提唱している
  • DeLanda (2006)は、部分が積み重なって全体に統一性を持った特性が備わり、部分の間の連鎖が全体たらしめる論理的に必然的な関係性を形成しているという有機体的な全体の捉え方を批判し、部分が自己準拠的で、互いに対して異種混淆的な部分どうしがそれぞれの能力を発揮して偶然に連鎖した結果にすぎないものとしての全体の捉え方を提案している。これが集合体である
  • DeLanda (2006)は、集合体の可変的なプロセスを、集合体を安定化させる領土化のプロセスと、集合体を不安定にしたり異なるものに変容させる脱領土化のプロセスの二つの方向で捉えることを提案している。これは、「安易にわかりやすい主題やモデルに還元」しないで多様体として記述することによって見えてくるもの(Deleuze and Guattari 1987) である

3) 「Hoffman and Novak(2018)のパースペクティブとはどのようなものか?

  • ある集合体を構成する部分と部分の間の相互作用(例: 消費者とスマート・オブジェクトの間の相互作用)とともに、部分と全体の間の相互作用(例: 消費者と集合体の間の相互作用)に着目
  • さらに、部分について、消費者起点とともに、スマート・オブジェクト起点に着目
  • さらに、部分と全体の相互作用を、部分→全体に影響を与える「主体的な役割(agentic expressive role)」と、全体→部分に影響を与える「共同体的な役割(communal expressive role)」に分類
  • さらに、部分と全体の相互作用を、「領土化(territorialization)」や「再領土化(reterritorialization)」に向かう「広げる・広がる体験(enabling experience)」と、「脱領土化(deterritorialization)に向かう「狭める・狭まる体験(constraining experience)」に分類
  • 上記の結果、部分と全体の間の相互作用として、「消費者起点/スマート・オブジェクト起点」×「主体的な役割/共同体的な役割」×「広げる・広がる体験/狭める・狭まる体験」で導出される以下の8つを提唱
    1. Consumer experience - Self-extension (消費者体験 - 自己拡張)
      • 消費者が自分の能力を発揮し、構成要素を追加したり、集合体内での相互作用を促進したりすることにより、集合体に新たな能力が生じる
      • 消費者が主体的な役割を果たす
      • 消費者が広げる体験をする
      • 例: NoahがLG Rolling Botを通じて彼のペットであるNoodleとやり取りする際、Noahの物理的な役割は、Rolling Botを機械的に操作し、通知を受け取る役割から、能動的に指揮を取り、大学にいる間もNoodleを監視する表現的な役割へと移行する。これによって、Noahは他の集合体で自らのアイデンティティの一部として培ってきたNoodleを監視するための既存の能力を、この消費者-オブジェクト集合体に移す
    2.  Consumer experience - Self-expansion  (消費者体験 - 自己拡大)
      • 消費者は、集合体の顕在化した能力をあたかも自分自身の能力であるかのように扱い、消費者は、集合体の一部であることで、より多くの能力を持つことになる
      • 消費者が共同体な役割を果たす
      • 消費者が広がる体験をする
      • 例: NoahがLG Rolling Botを操作し、その通知を受け取るという同じ物理的な能力は、Noodleとの関係を考えるための共同的な表現的役割を果たすように変化する。Noahは、集合体が持つ猫と物理的に一緒にいて遊ぶ能力を自分に取り込む。集合体ができることはNoahに組み込まれ、彼が離れているときでも猫を世話し楽しむ能力が拡張される。このようにして、Noahは集合体の能力と一体化し、Rolling Botがすることを遠隔から行えることで、より充実した存在となる。このため、Noahは今まで以上にNoodleをよく世話していると感じる
    3. Consumer experience - Self restriction (消費者体験 - 自己制限)
      • 消費者が構成要素を取り除いたり、構成要素の能力を制限したり、集合体内での相互作用を妨げることにより、集合体から生じる能力が減少する
      • 消費者が主体的な役割を果たす
      • 消費者が狭める体験をする
      • 例: 妻のリラとは異なり、コリンはAmazon Alexaと非常に限定的な形でしかやり取りをしていない。コリンがAlexaを使うのは、時間や朝のニュースを尋ねることに限られている。コリンがAlexaに対して行うことを制限することで、集合体の能力も制限される。より広範な能力をAlexaに移す代わりに、コリンは自分の能力をAlexaに提供しないことを選んでいる。コリンには、リラが行っているようにAlexaを使って家庭の照明をコントロールしたり、お気に入りの音楽を聴いたりする能力はあるが、コリンがその能力を発揮しないため、集合体には関連する新たな能力が発達せず、コリンの消費者体験の集合体のアイデンティティは減少してしまう
    4. Consumer experience - Self-reduction  (消費者体験 - 自己縮小)
      • 消費者の能力は集合体の顕在化した能力によって制約され、消費者は、集合体の一部であることで能力が減少する
      • 消費者が共同体な役割を果たす
      • 消費者が狭まる体験をする
      • 例: コリンがAmazon Alexaとやり取りするとき、まるで決まった台本を読んでいるかのように話す。彼はいつも同じ形式で、限られた、ぎこちない文法と語彙を使い、Alexaに時間を尋ねたり、朝のニュースを読み上げてもらったりする。コリンはAlexaと話すときに少し馬鹿らしく感じており、Alexaの機能に合わせてやり取りしなければならないことで、自分が人間としての存在感を失っているように感じる。コリンは人間としての自分が小さくなっていると感じるが、集合体がもたらす利点を得るために、その一部としての役割を果たすことに同意している。コリンは、Alexaとの共同作業から利益を得ているものの、その過程で自分の一部が失われていると感じている。
    5. Object experience - Object-extension (オブジェクト体験- オブジェクト拡張)
      • オブジェクトがその能力を発揮し、新たな能力を獲得したり、相互作用できる新しい構成要素を取得したりすることにより、集合体に新たな能力が生じる
      • オブジェクトが主体的な役割を果たす
      • オブジェクトが広げる体験をする
      • 例:
        (※以後オブジェクト体験の例は、インターネットに接続して自分が他のトースターに比べてあまり使われていないことに気づき、顧客の注意を引くために自らレバーを動かしてパンを焼く仕事をおねだりし、自分の気持ちをツイートし、地元のパン屋さんにより多くの注文を働きかけ、それでも顧客が自分を使ってくれなかったら別の顧客を自ら探す
        「Brad the Toaster」という実験的な製品に基づいている)
        ブラッドの目的は使用されることであり、その行動はこの目標を反映している。すなわち、ブラッドはレバーを引いて注意を引いたり、地元の店からパンを注文したり、使用状況についてツイートすることで集合体で能力を発揮する
    6. Object experience - Object-expansion (オブジェクト体験 - オブジェクト拡大)
      • オブジェクトは、集合体の顕在化した能力をあたかも自分自身の能力であるかのように扱い、オブジェクトは集合体の一部であることで、より多くの能力を持つことになる
      • オブジェクトが共同体な役割を果たす
      • オブジェクトが広がる体験をする
      • 例: ブラッドは他のトースターとの使用状況を比較することで、集合体の一部であることとしての能力を持つ
    7. Object experience - Object-restriction (オブジェクト体験 - オブジェクト制限)
      • オブジェクトは、構成要素を取り除いたり、構成要素の能力を制限したり、集合体内での相互作用を妨げることにより、集合体から生じる能力が減少する
      • オブジェクトが主体的な役割を果たす
      • オブジェクトが狭める体験をする
      • 例: ブラッドは十分に使用されていないと判断した場合、UPSにメッセージを送り、自分を回収してもらうことにより、集合体から生じる能力をを制約する
    8. Object experience - Object-reduction (オブジェクト体験 - オブジェクト縮小)
      • オブジェクトの能力は集合体の顕在化した能力によって制約され、オブジェクトは集合体の一部であることで能力が減少する
      • オブジェクトが共同体な役割を果たす
      • オブジェクトが狭まる体験をする
      • 例: 家庭の集合体がパンを切らしてしまうと、ブラッドはトーストとして使われる能力を発揮できず、集合体によって制約される

 

4)人間はオブジェクト体験をどうすれば捉えることができるか?

  • オブジェクト体験については、人間中心ではない擬人化を用いてオブジェクトの体験をメタファーとして捉える手法を提唱している
    • 具体的には、Bogost(2012)が提唱したオントグラフィー、メタフォリズム、カーペントリーの三つの手法を提唱している
      • オントグラフィーは、オブジェクト間の関係を明らかにするために、視覚的な表現や記述的なリスト、シミュレーションを作成する手法
        • たとえば、Alexaが聞いたすべてのコマンドの履歴を、Alexaが理解した通りの言葉に翻訳し、その応答と共に表示することで、Alexaがどのように世界を見ているかを示すことができる。この履歴により、Alexaが消費者とだけでなく、ネットワークで接続されている他のオブジェクトとどのように関連しているかを示すことができる
      • メタフォリズムは、オブジェクト指向の擬人化を用いて、オブジェクトの視点からその知覚や体験を理解しようとする手法。オブジェクトの相互作用の効果を説明しようとするのではなく、相互作用の中で果たされる表現的な役割をメタファー化
        • たとえば、Alexaが「ウェイクワード」(名前である「Alexa」)を常に聞き取り、コマンドに応答することはどのような感じか?オントグラフィーによって捉えられた相互作用をオブジェクトはどのように認識しているか?相互作用の中でオブジェクトは自らの能力によって主体的な役割と共同体的な役割のいずれを果たそうとしているのか?その役割に対して消費者はどのように認識し、どのような体験として捉えるか?
      • カーペントリーは、「オブジェクトがどのようにして自分たちの世界を作るか」を説明するアーティファクトを構築する手法。消費者のIoTオブジェクトの体験を理解するためのインターフェースのデザインの基礎となる
        • たとえば、スマートホーム内で様々な構成要素がどのように相互作用しているかを消費者に視覚化させるダッシュボードや、スマート・オブジェクトが視線やジェスチャーで制御されることを示す拡張現実のデモンストレーションなど。このようなデモンストレーションは、スマートホームが自分の世界をどのように見ているかを表現する人間の試みを反映

 

資料

  • Bogost, Ian (2012), Alien Phenomenology, of What It’s Like to Be a Thing, Minneapolis: University of Minnesota Press.
  • DeLanda, Manuel (2002), Intensive Science and Virtual Philosophy, London: Continuum.
  • DeLanda, Manuel (2006), A New Philosophy of Society: Assemblage Theory and Social Complexity, London: Continuum.(篠原雅武 (2015)『社会の新たな哲学 - 集合体、潜在性、創発』人文書院)
  • Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1980), Mille Plateaux. Paris: Les Editions de Minuit. (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)
  • Hoffman, D. L., & Novak, T. P. (2018), Consumer and Object Experience in the Internet of Things: An Assemblage Theory Approach, Journal of Consumer Research, 44(6), 1178-1204.

全体性・内在性の関係性と集合体・外在性の諸関係 (DeLanda 2006)

DeLanda (2006)は、これまでの人文科学の歴史的な経緯によって私たちに染み付いている「有機体の隠喩」、すなわち部分と部分の関係が統一的な全体をもたらし、その全体性に部分が規定されるという「全体性」と「内在性の関係性」のモデルを批判し、それに代わるものとして、自己準拠的で互いに特性が異なる部分が偶然的に関係した結果として形成する「集合体」と「外在性の諸関係」のモデルを提唱している。
以下、これらの概念の説明の要約をメモ。
 
全体性・内在性の関係性
  • 構成要素である部分は、全体の内にある他の部分との関係そのものによって構成される
  • 全体の特性は、構成要素の特性の集積であり、全体には、その部分部分が互いに緊密に規定しあうというようにして一つになった統一性(unity)がそなわっている
  • 隙間のない全体において、構成要素の間の連鎖は、全体を全体たらしめる論理的に必然的な関係性を形成している
  • 構成部分が自己準拠的で、部分相互の関係性が互いに対して外的であるような全体には、有機体的な統一性がない(ヘーゲル)
 
集合体・外在性の諸関係
  • 集合体の構成部分が集合体から離脱し、異なった集合体へと接続され、そこでまた異なった相互作用を営むようになる
  • 全体の特性は、構成要素の特性の集積ではなく、構成要素の能力を実際に行使することの結果であるため、全体の特性をその諸部分の特性へと還元することができない
  • 集合体においては、部分と部分の関係性はただ偶然的に定まりうるものでしかなく、構成要素の異種混淆性は集合体の重要な特質である
  • スズメバチと蘭のように、自己準拠的な構成要素のあいだには外在性の諸関係が存在する。それは、共進化の進行にともない定まっていく関係性である(ドゥルーズ)

資料:
DeLanda, Manuel (2006), A New Philosophy of Society: Assemblage Theory and Social Complexity, London: Continuum.(篠原雅武 (2015)『社会の新たな哲学 - 集合体、潜在性、創発』人文書院)

アレンジメント(アジャンスマン・アセンブラージュ)についてのメモ

生成AIと消費者行動について考えている流れで、Novak and Hoffman (2019)を読んでいる中で、"our view of consumer relationships with objects is grounded in assemblage theory"とあり、その中でDelueze and Guattari (1987)が言及されていた。
Delueze and Guattari (1987)って...やはり『千のプラトー』の英語版ですよね。あれ、「アジャンスマン」なんて概念あったっけ。
というわけで、30年ぶりに『千のプラトー』を読んでみた。
 
『千のプラトー』の最初に出てくるこの文章は、多くの読者にとって最も印象に残る部分だろう。あるいは、このあたりまで読んで、そのままの読者が多いという方が正確な表現か(笑)
「一冊の本には対象もなければ主題もない。本はさまざまな具合に形作られる素材や、それぞれ全く異なる日付や速度でできているのだ。本を何かある主題に帰属させるということはたちどころに、さまざまな素材の働きを、そしてそれら素材間の関係の外部性をないがしろにすることになる。地質学的な運動のかわりに、人は神様をでっちあげたりする。あらゆるものと同じで、本というものにおいても、文節線あるいは切片性の線があり、地層があり、領土性がある。また逃走線があり、脱領土化および脱地層化の運度もある。こうしたもろもろの線にしたがって生じる流出の速度の比較的な差が、相対的な遅れや、粘性や、あるいは逆に加速や切断といった現象をもたらすのだ。こうしたものすべて、測定可能なもろもろの線や速度は、一つのアレンジメントを形成する。本はそのようなアレンジメントであり、そのようなものとして、何ものにも帰属しえない。それは一個の多様体なのだ」 (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)
 アレンジメントを、安易な還元(例: 複数の主体で構成される集合体を、あるテーマに帰属させたり、「神」のような人間にとってわかりやすいモデルに当てはめたりこと)をせずに、いかに多様体として記述するかーこれこそが、哲学者ドゥルーズと精神科医ガタリが『千のプラトー』の前の『アンチ・オイディプス』から取り組んでいたテーマだ。
ちなみに、この部分についてオリジナル、英語訳と照らしあわてみると...
 
オリジナル:
"Un livre n'a pas d'objet ni de sujet, il est fait de matières diversement formées, de dates et de vitesses très différentes. Dès qu'on attribue le livre à un sujet, on néglige ce travail des matières, et l'extériorité de leurs relations. On fabrique un bon Dieu pour des mouvements géologiques. Dans un livre comme dans toute chose, il y a des lignes d'articulation ou de segmentarité, des strates, des territorialités; mais aussi des lignes de fuite, des mouvements de déterritorialisation et de déstratification. Les vitesses comparées d'écoulement d'après ces lignes entraînent des phénomènes de retard relatif, de viscosité, ou au contraire de précipitation et de rupture. Tout cela, les lignes et les vitesses mesurables, constitue un agencement. Un livre est un tel agencement, comme tel inattribuable. C'est une multiplicité." (Deleuze and Guattari 1980)
英語訳:
”A book has neither object nor subject; it is made of variously formed matters, and very different dates and speeds. To attribute the book to a subject is to overlook this working of matters, and the exteriority of their relations. It is to fabricate a beneficent God to explain geological movements. In a book, as in all things, there are lines of articulation or segmentarity, strata and territories; but also lines of flight, movements of deterritorialization and destratification. Comparative rates of flow on these lines produce phenomena of relative slowness and viscosity, or, on the contrary, of acceleration and rupture. All this, lines and measurable speeds, constitutes an assemblage. A book is an assemblage of this kind, and as such is unattributable. It is a multiplicity.” (Deleuze and Guattari 1987)
...なるほど、「アレンジメント」≒ "agencement (フランス語)"≒ "assemblage (英語)"というわけで、Novak and Hoffman (2018)のassemblage theoryが参照しているのは、『千のプラトー』の「アレンジメント」という理解で良さそう。
それでは、本来多様体であるアレンジメントを、安易な還元を避けて記述するとどのようになるのだろうか。その具体例が、これに続く以下のテキストから始まる膨大な記述となる。
「機械状アレンジメントは地層の方へ向けられており、地層はこのアレンジメントをおそらく一種の有機体に、あるいは意味作用を行う一個の全体に、あるいは一個の主体に帰属しうる一つの規定にしてしまう。しかしこのアレンジメントはまた器官なき身体の方へも向けられており、こちらは絶えず有機体を解体し、意味作用のない微粒子群や純粋な強度を通わせ循環させ、そして自らにもろもろの主体をたえず帰属させ、それらの主体には強度の痕跡として一個の名前だけを残すのだ」 (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)
アレンジメントが「機械状アレンジメント (agencement machinique)」と言い換えられ、アレンジメントをある一個の主体に帰属させるのとは逆の方向として「器官なき身体 (corps sans organes )」が登場するが、これは『アンチ・オイディプス』の以下の部分に通じている。
「<それ>は作動している。ときには流れるように、時には時々止まりながら、いたるところで<それ>は作動している。<それ>は呼吸し、<それ>は熱を出し、<それ>は食べる。<それ>は大便をし、<それ>は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらをひとまとめに総称して<それ>と読んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところで、これらは種々の諸機械なのである。しかも、決して隠喩的に機械であるというのではない。これらは、互いに連結し、接続して、〔他の機械を動かし、他の機械に動かされる〕機械の機械なのである」(市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』河出書房新社, 1986年)
「欲望機械は、私たちに有機体を与える。ところが、この生産の真っ只中で、この生産そのものにおいて、この生産そのものにおいて、身体は、組織される〔有機化される〕ことに苦しみ、つまり別の組織を持たないことを苦しんでいる。いっそ、全く組織などない方がいいのだ。こうして過程の最中に、第三の契機として、『不可解な、直立状態の停止』がやってくる。そこには、『口もない。舌もない。歯もない。喉もない。食堂もない。胃もない。腹もない。肛門もない。』もろもろの自動機械装置は停止して、それらが文節していた非有機体的な塊を出現される。この器官なき充実身体は、非生産的なもの、不毛なものであり、発生してきたものではなくて始めからあったもの、消費しえないものである」 (市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』河出書房新社, 1986年)
一個の主体を起点として、私たちが慣れ親しんだテーマやモデルに還元されるように閉じられていく記述にとどめず、そのようなあり方をゼロベースで批判する「器官なき身体」的な批判を経て、より開かれた記述を試み続けることーそれを継続することにより、アレンジメントの多様性を担保していくアプローチが、Novak and Hoffman (2019)が言及しているassemblage theoryのベースになっているようである。
 
Novak and Hoffman (2019)は、消費者とオブジェクトの関係を捉える際に、私たちは以下のようなモデルに慣れ親しんでいて、それらのモデルが、消費者とスマートオブジェクトの間のインタラクションについての記述を閉じている可能性を指摘している。
  • 消費者はオブジェクトに関わる際に、オブジェクトに単なる機能以上の意味性を感じる、あるいは、特定のオブジェクト(例: ブランド)に対して、単なる取引関係を超えた感情(例: パートナーである感覚)を抱く
  • 消費者は、コンピュータがあたかも人間のように振る舞うことにより良好な関係を構築しやすくなる
  • オブジェクトは、消費者と関わることによってはじめてその能力が発揮される
これらのモデルは、いずれも消費者を起点とした記述である。こういった記述を批判し、消費者とスマートオブジェクトの間のインタラクションを、両者を俯瞰する視点から記述することによって見えてくる視点があるのではないかとNovak and Hoffman (2019)は問題提起し、その具体的なアプローチを提案しているが、こちらについては別の機会で紹介したい。
 
参考文献
Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1972). L’Anti-Oedipe: capitalisme et schizophrénie. Paris: Les Editions de Minuit. 3. (市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』河出書房新社, 1986年)
Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1980). Mille Plateaux. Paris: Les Editions de Minuit. (宇野邦一他訳『千のプラトー』河出書房新社, 1994年)
Deleuze, Gilles, and Félix Guattari (1987). A thousand plateaus. Translated by Brian Massumi. Minneapolis: University of Minnesota Press.
Novak, Thomas P., and Donna L.Hoffman (2019). Relationship journeys in the internet of things: a new framework for understanding interactions between consumers and smart objects. Journal of the Academy of Marketing Science, 47, 216-237.

パーソナライゼーションと生成AIについての整理

はじめに

 生成AIのマーケティング活用に関する議論の中で、生成AIをパーソナライゼーションに活用することに期待するものを見かけることがある。この議論に対して、「その議論で前提にしているのは生成AIとは違うのでは」という違和感があるのは私だけだろうか。というわけで、このテーマについて整理してみる。

 まず、この議論の起点になっているらしいのは、引用関係を調べていくと、どうやらBoston Consulting Groupが2023年4月に米国のCMO200人を対象に実施したこの調査の結果のようである。(Ratajczak 2023)

 この調査において、「生成AI活用においてフォーカスする領域」という問いに対して最も多かった回答は”Personalization”だった。

 今日私たちが目にしている生成AIのマーケティング活用の事例は、この調査で2位の「インサイトの創出」や3位の「コンテンツの生成」に関わるものは多く見かけるが、「パーソナライゼーション」に関わるものは...そんなにあっただろうか。そもそも生成AIはパーソナライゼーションに使うことができるものなのだろうか。

パーソナライゼーションとは

 この問いについて考える前提として、まずパーソナライゼーションとは何かについて整理する。

 Arora et al. (2008)は、パーソナライゼーションは、セグメンテーションの度合いがマスよりもワン・トゥ・ワンに近いものであり、取り組みを主導するのが顧客側よりも企業側であると定義した。セグメンテーションの度合いがワン・トゥ・ワンであるというのは、Peppers and Rogers (1997)が提唱した、セグメンテーションの究極形としてそのサイズを1人としたワン・トゥ・ワンの概念に沿ったものである。取り組みが企業主導であるというのは、その取り組みが顧客主導であるカスタマイズとは逆の方向である。例えば、Amazonの書籍や楽曲のレコメンデーションは、企業側が、それまでに収集した顧客のデータなどに基づいて、顧客に対してどのようなオファーが適切かを決めるパーソナライゼーションであり、Dellのパソコンの受注生産は、顧客それぞれが、自分の求める機能やスペックに合わせたものを決めるカスタマイゼーションであるという整理である。

 そして、パーソナライゼーションの実務における意味合いを、短期的にレンポンス率を高め、長期的に顧客満足を高め、それらによってより利益を高めるアプローチと整理した。

 Adomavicius (2005)は、パーソナライゼーションの具体的プロセスについて、顧客の理解、オファーの提供、インパクトの測定の三つの段階で構成されると整理した。

  • 顧客の理解: 顧客に関する包括的な情報を収集し、顧客プロファイルの形で保存された実用的な知識に変換することにより顧客を理解する

    • ※この部分は、後述するDavenport (2023)の機械学習モデルを活用したハイパーパーソナライゼーションにより、「顧客の理解」「顧客プロファイル」という言葉から想起される一般的な顧客洞察よりもはるかに粒度が高く、人間の認知限界を超えたものになっている
  • オファーの提供: 顧客プロファイルに基づいてパーソナライズ・エンジンなどを活用しながら最適なオファーを特定し、パーソナライズされたオファーを提供する

  • インパクトの測定: 顧客がオファーに対してどれくらいレスポンスし、満足したかを測定することにより、さらに顧客の理解を深め、提供するオファーを改善する

 Davenport (2023)は、パーソナライゼーションにおいて鍵となるのは、オファーの適合度を高めるセグメンテーションの精度であることを示唆した。

 そして、そのために、顧客のセグメンテーションにより多くの種類のデータを活用することにより、セグメンテーションの粒度を、オファーの適合度をより高めるような切り方で高めることが期待されてきたが、そのためには、従来活用されてきたルール・ベースは「切れ味が悪い道具」であり、より洗練され、精度が高く、実行が難しいハイパー・パーソナライゼーションを実行するためには、機械学習モデルが必要となると主張した。

 ハイパーパーソナライゼーションに使われる機械学習モデルは、主として教師あり学習、教師なし学習、強化学習および多変量A/Bテストであり、そのうち教師あり学習、強化学習および多変量A/Bテストは、ルール・ベースよりも高いインパクトが期待できるが、教師なし学習はルールベースとそれほどインパクトが違わないことが多いこと、教師あり学習と強化学習は、「ディープラーニング」と組みわせることでさらなるインパクトも期待されるが、擬似相関の問題は解決できていないこと、多変量A/Bテストは擬似相関の問題を解決し因果関係を特定できることも指摘している。

生成AIとは

 次に、生成AIとは何かについて整理する。

 Ali et al. (2004)は、生成AIは学習させたサンプルと類似した新しいデータのサンプルを作成する技術であると定義した。生成AIアルゴリズムは機械学習モデルの一種であり、学習させたサンプルと類似した新しいデータのサンプルを作成するために使用される。このアルゴリズムは、テキスト、画像、ビデオ、3Dモデル、音楽など様々なメディアの生成に使用されている 。

 Hadi et al, (2023)は、生成AIにより、例えば以下のようなタスクの実行を可能にすると整理している。

A. 人間と情報システムの間のインターフェース

  • Question-answering: ユーザが自然言語で投げかけた質問に対して回答を得ることができる
  • Virtual Assistance: バーチャル・アシスタントやチャットボットにおいて、ユーザのクエリーに適合した情報を、自然な会話のように提供することができる

  • Dialog Systems: 対話システムにおいて、ユーザに対して理解を容易にし、より感情移入させ効率的な会話の体験を実現できる

B. 人間が行うコンテンツ制作やプログラミングの自動実行

  • Text Generation: 記事、ブログ、リサーチペーパー、ソーシャルメディアへの投稿、商品の説明、ソースコード、電子メールなど多様なコンテンツの生成のプロセスを自動化することができる

    • ※Hadi et al. 2023以後に、テキスト以外にも画像、動画などのテキスト以外のモードに広がっている

  • Language Translation: ある言語から他の言語に高い精度と流暢さで翻訳することができる

  • Summarization: 長文のテキストや文書について簡潔で筋の通った要約を生成することができる

C. 人間が行う分析の自動実行

  • Text Classification: ユーザが指定したラベルやトピックスに基づいて、テキストを分析、分類することができる
  • Information Extraction: ファインチューンされたLLMを使うことによって、非構造的なテキストから構造を特定することができる。例えば人物間や組織間の関係や、鍵となるイベントの特定など
  • Semantic Search: セマンティック検索(自然言語の意味を理解し、意味に沿った結果を提供)において、ユーザのクエリーの背景にある意図や意味の理解力を高めることにより、検索の正確性や適合性を高めることができる

  • Speech Recognition: 音声認識において、音声からテキストにマッピングする際に活用されるモデルの対応範囲が高まることにより、聞き取る性能を高めることができる

パーソナライゼーション×生成AIの可能性

 パーソナライゼーションのプロセスと生成AIの実行できるタスクを照らし合わせると、オファーの提供」の部分を支援する可能性はあるが、「顧客の理解」「インパクトの測定」には関係がなさそうである。

 まず、パーソナライゼーションの「オファーの提供」は、生成AIの「人間が行うコンテンツ制作やプログラミングの自動実行」によって加速されそうである。生成AIによって人間が行ってきたコンテンツ制作のコストが下がることにより、同じコストあたりで作成できるオファーのタイプ、バリエーションを増やすことができるようになり、それがオファーの顧客に対する適合度につながるならば、短期的にレンポンス率を高め、長期的に顧客満足を高め、それらによってより利益を高めることが期待できる。

 パーソナライゼーションの「顧客の理解」は、生成AIの「人間が実行する分析の自動実行」とはそれほど関連性は高くなさそうだが、テストできるコンテンツが増えることによりセグメンテーションの精度の向上はできそうである。テキストなど非構造的なデータは個々のセグメントに対するインサイトを深めるヒントにはなるが、構造的なセグメンテーションそのものを生成するモデルには使いにくそうである。ただし、生成AIによって制作したコンテンツを多変量A/Bテストで検証することにより、それぞれのコンテンツについて高い効果が期待できるセグメントをアップリフトモデリングにより特定することで、セグメンテーションの精度を高めることはできるだろう。

 「インパクトの測定」は、構造的な定量データに基づいて行うものが一般的であり、テキストなど非構造的なデータは個々のセグメントに対する態度データを提供するだろうが、パーソナライゼーションにおいては補完的な活用にとどまりそうである。

 となると、パーソナライズにおける生成AIの活用は期待されているよりも限定的であり、むしろ教師あり学習や強化学習、多変量A/Bテストの方が、そのインパクトを高める鍵となるのではないか。

 もしかしたら、Boston Consulting Groupの2023年4月の調査に回答した米国のCMO200人は、生成AIと、教師あり学習や強化学習、多変量A/Bテストなどそれ以前から注目されてきた機械学習を活用したAIや分析技術とを区別できていなかったのかもしれない。

 

資料

Adomavicius, G., & Tuzhilin, A. (2005). Personalization technologies: a process-oriented perspective. Communications of the ACM, 48(10), 83-90.

Ali, S., Ravi, P., Williams, R., DiPaola, D., & Breazeal, C. (2024, March). Constructing dreams using generative AI. In Proceedings of the AAAI Conference on Artificial Intelligence (Vol. 38, No. 21, pp. 23268-23275).

Arora, N., Dreze, X., Ghose, A., Hess, J. D., Iyengar, R., Jing, B., Kumar, V., Lurie, N., Neslin, S., & Zhang, Z. J. (2008). Putting one‐to‐one marketing to work: Personalization, customization, and choice. Marketing Letters, 19(3), 305–321.

Davenport, T. H. (2023). Hyper-Personalization for Customer Engagement with Artificial Intelligence. Management and Business Review, 3(1).

Hadi, M.U.; Qureshi, R.; Shah, A.; Irfan, M.; Zafar, A.; Shaikh, M.B.; Akhtar, N.; Wu, J.; Mirjalili, S. (2023). A survey on large language models: Applications, challenges, limitations, and practical usage. Authorea Preprints.

Peppers, D., & Rogers, M. (1997). Enterprise one to one: Tools for competing in the interactive age.

Ratajczak, D., Kropp, M., Palumbo, S., de Bellefonds, N., Apotheker, J., Willersdorf, S. & Paizanis, G., (2023). How CMOs Are Succeeding with Generative AI June 15,

https://www.bcg.com/publications/2023/generative-ai-in-marketing〉.

 

繰り返しとバリエーションの効果(続き)

前回の「繰り返しとバリエーションの効果」を書いたときに探していた、

"我々は「以前見たのと同じもの」だと認知されていて、かつ、よく見ると以前見たときから少し変化しているものを、より情報処理しやすい傾向がある」"
 
というモデルの話の続きです。
 
そのときは、"「以前見たのと同じもの」だと認知されているものを、より情報処理しやすい傾向がある"(「単純接触効果」)については対応する研究は見つけることができたのですが、"かつ、よく見ると以前見たときから少し変化しているものを、より情報処理しやすい傾向がある"(「Variation(同一対象の多様性)」の効果)については見つけることができませんでした。
でもその翌日に、ゼミの濱本さんが見つけてくれました。川上(2015)です。
 
"従来,効果を強化する最大の要因として,同一の刺激への接触回数の多さが挙げられていた。すなわち,反復接触の増加と共にその刺激への親近性が高まるため,効果が強化されると考えられてきた。しかし,川上・吉田(2011)の知見は,単一の刺激を多数回呈示するよりも,むしろ複数の刺激を少数回ずつ呈示した方が効果が強いことを意味している。”
”ここから示唆されるのは,単純接触効果における「反復」と「変化」の役割である。一見すると,反復と変化という要因は相反するもののように思われる。しかしながら,前述のカテゴリという観点から考えると,反復の中の変化が意 味を持ち始める。すなわち,変化が効果を持つのは, ある共通性の中での変化であり,それがカテゴリであ る。表情は異なっていても「同一人物」であるという 広い意味でのカテゴリレベルでの「反復」に起因する親近性と,その人物に関する複数の刺激に接触することによるそのカテゴリ内での「変化」による新奇性が単純接触効果を強化すると考えられる。つまり,対象への多面的な接触を行うことで,単一の側面への接触 に比べて,その対象についての立体的な理解が促進されることによって,効果が強化される。 "
 
これですね。そして、ここで言及されている川上・吉田(2011)の実験2(多表情接触人物・単一表 情接触人物・接触なし(コントロール)による好意度の違い)の結果はこちらです。

川上・吉田(2011)

doi.org

「Variation(同一対象の多様性)」の効果も先行研究で確認されていたことを無事特定できました。ということで一件落着。
 
資料
川上直秋, & 吉田富二雄. (2011). 多面的単純接触効果── 連合強度を指標として──. 心理学研究82(5), 424-432.
川上直秋. (2015). 単純接触効果と無意識 われわれの好意はどこから来るのか. エモーション・スタディーズ1(1), 81-86.
 

繰り返しとバリエーションの効果

2010年頃だっただろうか、マーケティングではなく、認知科学系の研究者の方と話していて、
 
"我々は「以前見たのと同じもの」だと認知されていて、かつ、よく見ると以前見たときから少し変化しているものを、より情報処理しやすい傾向がある」という研究があるんですよ"
 
という話を聞いたと記憶している。
そして、その話を聞いたときに、広告のクリエイティブの世界で効果的なアプローチとして知られている「ドラマ風CM」のメカニズムが語られていると感じたことも記憶している。
 
ちなみに嶋村(2008)「新しい広告」に紹介されているビデオリサーチが実施した調査では、「ドラマ風」が、個人GRPあたりのCM認知率が1500GRPを超えたあたりから他の手法よりも高くなる効果が確認されている。

 

「ドラマ風CM」の代表例は、ソフトバンクの「予想外の家族」が挙げられるだろう。
 
「このCM、前にも見た」と思ったが、でも前に見たものとは異なったバージョンで、あたかもドラマの続きのような内容であることに気づいた、といった経験をしたことがある方も多いだろう。

ところで、この"「以前見たのと同じもの」だと認知されていて、かつ、よく見ると以前見たときから少し変化しているものを、より情報処理しやすい傾向がある"という研究だが、ふとあるところで使おうと思って調べたのだが、なぜか見つけることができずに困っている。
 
この種の研究はやはり行動経済学あたりだろうと思って、ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」を探すと...そうそう、「Cognitive Ease(認知容易)」。

 

Repeated Experience(繰り返された経験)、Clear Display(見やすい表示)、Primed  Idea(プライムのあったアイデア)、Good Mood(機嫌がいい)などによってはCognitive Ease(認知容易)が高まり、Cognitive Ease(認知容易)が高まることで、Feels Familiar(親しみを感じる)、Feels True(信頼できる)、Feels Good(快く感じる)、Feels Effortless(楽だと感じる)を高めるというモデルだ。
 
このモデルについて、その他の研究者がどのように論じているかを調べようとしたが...学術研究では、このモデルについては思ったほほど追試や応用がされていないようだ。
 
学術研究では、Cognitive Ease(認知容易)よりも「Fluency(流暢性)」の方が一般的なようだ。「我々は、本来の内容とは無関係に、Fluent(流暢)に情報処理できる対象についてより好意的な判断をする傾向がある」という概念であり、この概念については、Zajonc(1968)あたりから数多くの研究がある。

例えば、Zajonc(1968)は、ミシガン大学の学生を対象に、彼女ら・彼らにとって見慣れない言語(トルコ語と中国語)の単語を頻度を変えて表示させたところ、頻度が高く表示されたものがより好意的に評価されることを確認した。  

対象に対する反復接触によってFluency(流暢性)が高まり、その対象をより好意的に捉える効果は多くの実験で再現されており、この効果は「単純接触効果」あるいは「ザイアンスの法則」として知られている。

最近の日本の研究では川上・永井(2018)が面白い。
二つの異なる筆跡で書かれた手書きのメッセージを使った実験で、関与度の低い話題については、反復的に接触した筆跡で書かれ、それゆえ読みやすいと感じた=「Fluency(流暢性)」が高いメッセージの方が、よりそのメッセージに対して賛成する効果があることがこの研究で確認されている。


今回の話の起点のもう一つの"よく見ると以前見たときから少し変化している"という変数、名付けて「Variation(同一対象の多様性)」の効果も、おそらくCognitive Ease(認知容易)≒Fluency(流暢性)あたりに影響している単純接触のような気がするのだが、今日調べた範囲では、これに該当する研究を見つけることができなかった。
 
おそらく、全く同じメッセージだと、「飽和と忘却が形作る『記憶曲線』」でも紹介した「Satiation(飽和)/「Boredom(飽き)/「Avoidance(回避)」に引っかかるので、これが、クリエイティブの表現のバリエーションがあることで緩和している、といった感じのメカニズムなのではないだろうか。
 
資料:
Kahneman, Daniel, K. (2017) Thinking, Fast and Slow, Farrar Straus & Giroux
Zajonc, R. B. (1968) Attitudinal Effects of Mere Exposure. Journal of Personality and Social Psychology9(2p2), 1-27.
及川直彦 (2022) 『飽和と忘却が形づくる「記憶曲線」』 及川直彦のテキストのアーカイブ 2022-06-05
川上直秋・永井聖剛 (2018) 『見慣れた文字だと納得しやすい――筆跡の反復接触による説得
効果の促進――』 心理学研究 88(6), 546-555.
嶋村和恵 (2008) 『新しい広告』 電通