及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

仮説演繹法とアブダクション

野家啓一の『科学哲学への招待』の中で、私が携わる経営・マーケティングの研究において広く採用されている「仮説演繹法」と、その限界を補う「アブダクション」についてわかりやすく整理されていたので、以下要約しました。

 

仮説演繹法についての整理

<前提1 – 演繹法>

  • 「演繹法(deduction)」は、普遍的命題(前提)から個別的命題(結論)を論理的に導き出す方法、より具体的には、一群の公理(前提、普遍的命題)から一つ一つステップを踏んで個々の定理(結論、個別的命題)を導出する手続きである
  • 演繹法の長所は前提が正しければ結論は必ず正しい点、短所は(結論は前提のうちに既に暗示的に含まれていたものを明示的に取り出したものなので)知識を拡張することができない点である

 

<前提2 – 帰納法>

  • 「帰納法(induction)」は、個別的命題(前提)から普遍的命題(結論)を導き出す方法、より具体的には、有限個の観察的事実(前提)から普遍的法則(結論)を導出する手続きである
  • 帰納法の長所は知識を拡張することができる点、短所は(有限個の観察的事実が過去・現在・未来のすべてである無限個において必ず再現するとは言えないので)そこで見出された普遍的法則は必ず正しいとは言えないものであり一定の確率で成立するとしか言えない点である

 

<仮説演繹法>

  • 仮説演繹法は、演繹法と帰納法の両者の長所を生かし、短所を補うものである
  • 仮説演繹法の先駆者は、十三世紀に「分解と合成の方法」を提唱したロバート・グロステストである。グロステストは、現象をその構成要素まで分析してそこから一般原理を発見する過程である「分解(resolutio)」(≒帰納法)と、見出された一般原理を組み合わせてそこからもとの現象を演繹的に再構成する手続である「合成(compositio)」(≒演繹法)の二つの過程を提示し、後者の過程で導出された命題は、経験的にテストされなければならないと主張し、これが仮説演繹法の原型となる
  • フランシス・ベーコンは1620年の著書『ノヴム・オルガヌム』の中で、近代科学の方法を「経験的能力と合理的能力との真実の正当性の結婚」と特徴づけ、その結婚の内実を「蟻と蜘蛛と蜜蝋」の比喩(蟻は経験的データを収集して結論を導く帰納法、蜘蛛は公理から合理的推論によって結論を紡ぎだす演繹法、そして蜜蝋はさまざまな材料を集めてきては自分の中で変形し消化する仮説演繹法)を示した
  • ジョン・ハーシェルは1830年の著書『自然哲学研究に関する予備的考察』の中で「科学的探究が成功を収める過程では、帰納法と演繹法の双方を交互に使用することが絶えず求められている」という考え方に基づいて仮説演繹法を定式化し、ウィリアム・ヒューエル、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズらが洗練させた
  • 仮説演繹法は、今日では以下のステップを踏むものと考えられている
    (1) 観察に基づいた問題の発見
    (2) 問題を解決する仮説の提起
    (3) 仮説からのテスト命題(予測)の演繹
    (4) テスト命題の実験的検証または反証
    (5) テストの結果に基づく仮説の受容、修正まだは放棄
  • (1)から(2)に至る過程では帰納法を、(2)から(3)に至る過程では演繹法を用いることにより、帰納法による知識の拡張を活用しながら、帰納法のもつ不確実さを演繹法によってある程度まで補正することができている。しかしながら、仮説演繹法といえども有限界のテストを通じて仮説を確立する方法である限り、そこで得られた一般法則は、一定の確率で法則が成り立つことを保証するにとどまる

 

アブダクション(abduction)についての整理

  • 仮説演繹法は近代科学の根幹をなす優れた方法論ではあるが、新しい仮説を発想するための「発見法(heuristics)」とはなりえない
  • 発見法につながる論理の代表例が、チャールズ・サンダース・パースが提唱し、ノーウッド・ラッセル・ハンソンが定式化した「アブダクション(abduction)」という方法論である
  • ハンソンは、アブダクションを以下の三つのステップから成り立つものとしている
    (1) ある予期していなかった現象Pが観測される
    (2) もし仮説Hを真とすれば、その帰結がPとして説明される
    (3) ゆえに、Hを真としてみる理由がある
  • 「P」という第一前提と「HならばP」という第二前提とから「H」という結論を導出する推論は、演繹法の観点からは「後件肯定の誤謬」と呼ばれてきた誤謬推論の一つであり、それゆえ、そこから導出された結論は必ず正しいと言えないものである。しかしながら、実際の科学研究の現場においては、しばしばこのような方法によって仮説が発想され、形成されている。それゆえ、アブダクションは論理的には正しい推論ではないが、発見法としては実践的な価値をもつ手続である
  • 今日ではアブダクションは「セレンディピティ(serendipity)」と結びつけて論じられることも多い。たとえばアルキメデスが風呂でたまたま浮力の法則を発見したり、レントゲンが陰極管の実験をしていて偶然にX線を発見したことなどは、セレンディピティ(偶然的に科学的真理を発見する能力)が発揮された事例と言われる。このセレンディピティの背景として、アブダクションをはじめ、アナロジーやメタファー(隠喩)などの有効性が指摘されている
  • 科学的発見のプロセスは、単なる論理的アルゴリズムに還元することはできない。コンピュータは、膨大なデータから帰納的に法則を見つけ出すことはできたとしても、コンピュータに新しい概念や理論を発見することが可能かどうかについては意見が分かれる。科学者の思考は、論理的に妥当な推論だけに基づいているわけではなく、アルゴリズムには還元できないような非形式的な推論を無意識のうちに行っている

 

「仮説演繹法」と「アブダクション」をめぐる議論は、経営・マーケティングの研究の観点以外に、戦略コンサルティングが得意であると言われている「ロジカルシンキング」と、デザインファームや広告会社が得意とすると言われている「デザインシンキング」をめぐる議論にも、通じる部分があるかもしれませんね。

 

資料: 野家啓一(2015)『科学哲学への招待』ちくま学芸文庫