及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

実証研究の方法論が拠り所とする科学哲学の考え方の整理

藤井秀樹先生の「実証会計学の方法論 –科学哲学的背景の検討を中心に–」という論文において、今日の経営学やマーケティングにおいて使われている実証研究(empirical research)の方法論が拠り所とする科学哲学の考え方についてわかりやすく整理されていたので、該当する部分をサマリーする。

 

(実証主義)

  • 実証主義(positivism)の名称はそもそも、「(神によって)設定された」を意味するラテン語”positivus”に由来し、近世(特に17世紀)のヨーロッパにおいては、「自然法則は神の自由な設定による」ことを示すために用いられていた。その背景には、自然法則の根拠を「神の自由な設定」からさらに遡ることができないという考え方があった
  • 科学的思考法の整備が進む中で、実証主義は、事実として与えられる自然法則で満足し、その背後に生成の神秘などを求めない知識(科学的知識)のあり方を指すようになった

 

(論理実証主義)

  • 論理実証主義(logical positivism)においては、経験が知識の基礎とされ、一般法則は観察と論理によってのみ正当化されうる
  • 論理実証主義から、経験を通じて得られる知識(経験的知識)に基づいて世界のあり方や仕組みを説明することが科学の目的であると考える科学目的観が導き出された
  • 科学目的観に基づくと、経験を通じて検証できない命題を取り扱う形而上学は、科学ではないということになる
  • 科学の課題と哲学の課題を区別することにより、論理実証主義は、形而上学的諸問題(例: 「事物の本質は何か」)に煩わされることなく、経験的知識の探究に邁進することができるようになる
  • 論理実証主義に基づいて、ある仮説が設定され、サンプルデータの統計分析を通じてその仮説の検証が行われ、その検証の結果に基づいて、「仮説が支持された」といった結論が導かれる今日的な研究方法、いわゆる実証研究(empirical research)の方法論が整備された

 

そして、実証研究の拠り所となっているのは、帰納法、反証主義、確率・統計的思考法の三つの考え方である。

 

(帰納法)

  • 枚挙的帰納法(enumerative induction)においては、繰り返し観察される同種の経験的事実を根拠にしながら、より一般的な法則(究極的には普遍的な法則)を導こうとする推論方法である。具体的には、統計処理における最小二乗法やデータ処理法のカーブ・フィッティングは枚挙的帰納法が挙げられる
  • 仮説演繹法(hypothetico-deductive method)においては、「仮説が正しければ」(仮説)、「こういう条件下で」(初期条件)、「こういうことが生じるはずである」(観察予測)という演繹的推論が行われ、その推論と観察の結果が一致していれば「仮説が証明された」ということになる。観察予測と観察の結果の照合により一致しているという判断には帰納法が使われる
  • しかしながら、枚挙的帰納法も仮説演繹法も、普遍的な法則を導くには、関連事実の無限集合を観察対象にする必要があるが、現実世界で観察が可能なのは有限個の観察事実に過ぎない。有限個の関連事実の観察から普遍的な法則を帰納法によって推論する際には、「同じ条件のもとでは、同じ現象が繰り返される」という斉一性原理(principle of the uniformity)を前提とせざるを得ないが、斉一性原理を正当化するのには、関連事実の無限集合を観察対象にする必要がある、という循環論法に陥ってしまう。これが帰納法に対する懐疑主義的批判である

 

(反証主義)

  • 懐疑主義的批判に対して、ポパーは、帰納法を推論過程から排除した科学的方法論として反論主義(falsificationism)を提唱した。確かに観察予測と観察結果が一致しても仮説は検証されないが、観察予測と観察結果が一致しない場合、すなわち、仮説が正しければ絶対に起きないような事実が観察された場合には、「仮説が間違っている」ということを揺るぎない結論として導き出すことができる。これは、帰納法を使わないで推論することができる。ポパーによると、観察予測と観察結果が一致しないことにこそ方法論的な意味があるのであり、仮説が反証されたならば、どのように反証されたかを参考にして、研究者はより良い仮説を新たに考案することができるとされる
  • 今日的な実証研究においては、統計的検定の対象となる仮説として、それを棄却することによってその対立仮説が統計的に支持されることを示すために設定される仮説(帰無仮説)が提示されるが、この帰無仮説の考え方には、ポパーの反証主義が反映していると言われている
  • ポパーは、反証不可能な仮説(反証条件を特定できない仮説)は科学的仮説とは言えないとし、反証可能性の有無を、科学と疑似科学の境界設定問題(demarcation problem)を考える際の基準線とした
  • しかしながら、反証主義には、ある仮説が反証されたとしても、その反証が、主要仮説と補助仮説(主要仮説の前提や条件となる諸条件)のどちらかについてなされたのかがわからないといった、観察によって仮説が決定されない過小決定(under-determination)の問題が残った

 

(確率・統計的思考法)

  • 過小問題に対して、証拠の予測確率を100%とする制約条件を緩め、反証主義の基本的原則(「仮説が真ならば起こりえないようなことが起きたら、その仮説は放棄すべきである」という推論規則)を、確率的要素を含む規則(「仮説が真であれば非常に低い確率でしか起きないようなことが起きたら、その仮説は放棄すべきである」という推論規則)に置き換えることで、実証研究の方法論は、過小問題に対処できるようになる
  • 今日の経営学やマーケティングにおいて使われている実証研究の方法論は、確率的要素を含んだ推論規則をベースとしている。
  • 典型的な手順は、ランダムサンプリングされたAグループとBグループのそれぞれのグループにおいて、論点となる変数Xの出現する割合が、「Aグループの割合とBグループの割合には差がない」という帰無仮説(H0)を立て、カイ2乗検定でこの帰無仮説が棄却できるかどうかを判定するものである

    この判定は、確率論的に行われる。例えば、変数Xの割合に、Aグループにおいて70%(140/200)、Bグループにおいて55%(110/200)という差があった場合、カイ2乗値が9.6となり、カイ2乗値が6.63を超えると1%水準で有意になるので、「Aグループの割合とBグループの割合の差は、100回同じように調査をした場合に1回以下しか観察されない非常に稀なものである」ことを示している。したがって、99%以上の信頼性で帰無仮説を棄却することができる

    帰無仮説が棄却できれば、「Aグループの割合とBグループの割合には差がある」という本来確かめたかった仮説(対立仮説H1)が支持され、帰無仮説が棄却できなければ、帰無仮説は当面保持される
  • ただし、このアプローチにおいても、仮説検定において考慮されていない要因が帰無仮説の反証に無視しえない影響を与えているとすれば、検証結果は「見せかけの相関関係」を示すことになる。そこで、仮説と証拠を結ぶ様々な補助仮説が考慮され、必要に応じてモデルの改良が行われることが期待される

 

残念ながら、この「見せかけの相関関係」の問題を解決し、因果関係を証明できる実証研究の方法論が、もし「ランダム化比較試験」による検証が可能な仮説ならば「ランダム化比較試験」が最も信頼性が高いという今日的な結論まではこの論文には出てこない(会計学の研究だとおそらく「ランダム化比較試験」がしにくいテーマが多いのだろうが)が、それは別の機会にまとめることにしよう

 

資料

藤井秀樹 (2010) 「実証会計学の方法論 –科学哲学的背景の検討を中心に–」『京都大学大学院経済学研究科 Working Paper No. J-81』 http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~chousa/WP/j-81.pdf