及川直彦のテキストのアーカイブ

及川直彦が書いたテキストと興味を持ったテキストのアーカイブ

「ブランドの代替わり」と「リキッド消費」

Belk (1988)は、近代的な生活において人々が「何を所有するか」によって自らのアイデンティティ(自分らしさ)を定義・強化する消費行動を指摘している。人々は幼少期から特定のイメージを持つブランドの中から「自分らしいもの」を選び、所有することに自らを環境から弁別し、自らを他者と差別化する。さらに、特定のイメージを持つブランドの中から新たな「自分らしさ」を表現するものを所有することによって、自らがコントロールできると感じる領域を拡張(self-extension)していくことを欲求する。

このような消費行動は、「自分らしさ」に適合したブランドを選択するとともに、適合しないブランドを回避する行動ももたらす。

Lee et al. (2009)は、人々がブランドを回避する行動を採る理由として、そのブランドの商品の性能が不十分だったり、修理に余計な手間がかかったりといった期待外れの経験による経験的な回避(experiential avoidance)、そのブランドが支配的な地位に甘んじていたり社会的に無責任な行動を採ったりといった評価による道徳的な回避(moral avoidance)、そのブランドの商品が費用対効果に合っていなかったり、パッケージが美的にきれいに仕上がっていないといった不十分さによる欠陥的な価値 (deficit avoidance)とともに、アイデンティティ的な回避(identity avoidance)を挙げている。 アイデンティティ的な回避の例として、そのブランドが自分らしい人々とは異なる利用者のグループを想起させたり、自らに対するイメージと合致していなかったりすることとともに、「ある種の消費者は、メインストリームのブランドを使うことは、自らのアイデンティティの独自性に反するので、そういったブランドを回避する」傾向などが挙げられている。

ブランドは、自らのアイデンティティを定義・強化するために消費される。そのような中で、強いイメージを持つブランドは、ときには利用され、ときには回避される。 このようなメカニズムは、マーケティングの現場においても昔から発見されており、指摘されていた。例えば藤岡(1984 )には次のように述べている。

「有名ブランドというのが品質の高さの証明ならまだしも、それが大量の商品の証明であれば、人はこれからだんだん遠ざかっていく。高価の証明、センスの証明であってもその魅力は薄れていく。嘗ては、ミス・ブランド、ミスター・ブランドという人種が街に溢れていて、これ見よがしにスカーフをなびかせ、これ見よがしにライターを取り出していたが、今はもう全く流行らなくなった」

「では、どんなセンスが恰好いいとされるのか。まず、ブランド・マークもろ出しはだめ、デザインもありありはだめ、だけど結構しゃれている。『素敵ね』と聞かれたところで、『これは吉祥寺のどこどこで見つけたのよ』と出所を明らかにする。それがもし海外ブランドだったら、誰もが知っているのではないブランド、だけど、できたらイタリーとかミラノとかがはいっていればそれに越したことはない、と、ある女性は説明してくれた。この心理の微妙、解説もなかなか困難だが、一点に絞って採り上げるなら、やはり、『私のセンスを見てください』ということになってしまう。有名海外ブランドは、どうしても『私の』センスよりメーカーのセンスが表に立つ」

「自分らしいもの」をコントロールし、特定のブランドによってコントロールされないように注意深くポジショニングしながら、アイデンティティを定義し続ける消費行動によって、かつて強いイメージを持ち、それゆえメインストリームになるまで人気となったブランドのが、しばしば、メインストリームであったり、大量に消費されていたりしたがゆえに回避され、その結果、ある世代に愛されたブランドが、その次の世代には回避される「ブランドの代替わり」という現象が、様々なカテゴリーで観察される。

らに、このような「ブランドの代替わり」に加えて、そもそも人々のアイデンティティのあり方とブランドの消費行動が、最近変質しているのではないか、という指摘もある。Bardhi & Eckhardt (2017)は、後期近代において、私たちの社会がより変化が激しくなり、より不安定になる「リキッド・モダニティ(液状化する社会)」に移行し、デジタルな情報環境(例: デジタルコンテンツに簡単にかつ瞬間的にアクセスできる環境)により、ある一貫したアイデンティティ一に対するこだわりがより少なくなり、ブランドの消費において短命化、非所有化、脱物質化が強くなる「リキッド消費(液状化消費)」が台頭してきたことが指摘されている。久保田(2020)は、この「リキッド消費」が日本においても見られることを実証している。
これまでメインストリームの地位にあったブランドに対して、昔からあった「ブランドの代替わり」を狙ったチャレンジというアプローチに加え、社会的な変化とデジタルな情報環境がもたらした「リキッド消費」が進む環境を効果的に活用したアプローチを組み合わせて、 新しいタイプのブランド群が成長している。そのようなブランド群のひとつが「D2C」ではないだろうかと感じている。D2Cについては別の機会で整理したい。
(資料)
Belk, Russel W. (1988) “Possessions and the Extended Self,” Journal of Consumer Research, 15 (2), 139–68.

Lee, M.S.W., Conroy, D.M. and Motion, J. (2009), “Brand avoidance: a negative promises perspective”, Advances in Consumer Research, Vol. 36, 421-429.

藤岡和賀夫 (1984) 「さよなら、大衆―感性時代をどう読むか」PHP研究所

Bardhi, F., & Eckhardt, G. M. (2017). Liquid consumption. Journal of Consumer Research, 44(3), 582–597.

久保田進彦(2020) 「消費環境の変化とリキッド消費の広がり―デジタル社会におけるブランド戦略 にむけた基盤的検討―」『マーケティングジャーナル』39(3), 52–66.

(2020年9月27日にFacebookに投稿したテキストを再掲)