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「センスメイキング」についてのメモ

最近、ビジネスにおける創造性とは何かを考え直すために、「センスメイキング」について論じた本を読み直している。そんな中で、文化的な探索に基づいて洞察を深掘りしながらアイディアを生み出すことを提案しているクリスチャン・マスビアウの『センスメイキング』は興味深かった。

ただし、この本は、「センスメイキング」について、今日一般的なものとはやや異なる独特の定義に基づいて論を展開しているので、まずはその整理が必要であろう。

 

今日の日本において「センスメイキング」の定義として一般的に知られているのは、例えば以下のようなものであろう。

「センスメイキングは未だ発展中で、その定義自体も多様だ。しかし筆者の理解では、その本質をよくとらえた日本語がある。それは『納得』であり、さらに平たく表現すれば『腹落ち』である。センスメイキング理論は、『腹落ち』の理論なのだ。より厳密には、『組織のメンバーや周囲のステイクホルダーが、事象の意味について納得(腹落ち)し、それを集約させるプロセスを捉える理論と考えていただきたい。』

〔入山(2019) 『世界標準の経営理論』〕

この定義は、「センスメイキング」が事象についての解釈の方向性を組織内で揃える部分に焦点を当てている。その一方で、マスビアウの「センスメイキング」は、解釈を揃える前の、事象から解釈を引き出す部分に焦点を当てている。マスビアウは「センスメイキング」について以下のように説明している。(下線は引用者)

「学術界では、センスメイキングという言葉が時代の変化とともに意味も変容しているが、本書では文化的探索という昔からある行為を指している。つまり、今や忘れ去られかねない状況にある価値観に根ざしたプロセスを指すものとして使っている。

「文化を調べ、全方位的に理解するには、我々の人間性をフルに活用しなければならない。自分自身の知性、精神、感覚を駆使して作業に当たらなければならない。特に重要なのは、他の文化について何か意味があることを語る場合、自身の文化の土台となっている先入観や前提をほんの少し捨て去る必要がある。その分、まったくもって新しい何かが取り込まれる。洞察力も得られる。このような洞察力を育む行為を筆者は『センスメイキング』と呼んでいる。」

「センスメイキングは、人文科学に根ざした実践的な知の技法である。アルゴリズム思考の正反対の概念と捉えてもいいだろう。センスメイキングが完全に具体性を伴っているのに対して、アルゴリズム思考は、固有性を削ぎ落とされた情報が集まった無機質な空間に存在する。アルゴリズム思考は『量』をこなす考え方で、一秒間に何兆テラバイトもの膨大なデータを処理できるが、深掘りして『奥行き』を追求できるのはセンスメイキングの力なのだ。」

「現実、すなわち意味があると認識できるものは、文脈(前後関係・状況)や歴史と切っても切れない。基本的には、この文脈を超えて物事を考えることはできない。人間は、自ら身を置く社会によって定義されるとハイデガーは主張する。言い換えれば、フォードのマーク・フィールズのような人物が中国やインド、ブラジルといった市場でクルマを売る極意を会得しようと思えば、新しい消費者の社会的な文脈について微妙な違いにまで踏み込んだ理解が求められるわけだ。そしてこうした理解を最短距離で最も効果的に達成する手段こそが、センスメイキングなのである。」

「…筆者は、センスメイキングのデータを『厚いデータ』と呼ぶようにしている。文化について有意義なことを表しているからだ。厚いデータは、単なる事実の羅列ではなく、こうした事実の『文脈』を捉えている。例えば米国の家庭の86%は週に5.7リットル以上の牛乳を消費しているそうだが、牛乳を飲む『理由』は何か。そして牛乳とはどういうものなのか。『40グラムのリンゴと1グラムの蜂蜜』というのは薄いデータだ。だが、『ユダヤ教の新年祭(ローシュ・ハシャナ)にりんごに蜂蜜をつけて食する習慣がある』となったとたん、これは厚いデータに変わる。」

「…こうした重層的な構造をもつ人間性を単純化して捉えようとせずに、北極星を頼りに航海をするように行く先を見極めるセンスメイキングが大事なのである。我々は目の前の現実の世界を生きていく術を身につけながら、自分の立ち位置や向かっている方向について正確に捉える力を養っていくものだ。アルゴリズムが思考を客観性、つまりはまったく偏りのない見方という幻想をもたらすものだとすれば、センスメイキングは自分の立ち位置をはっきりさせる方法でもある。特に重要なのは、センスメイキングで自分がどこに向かっているのかを絶えず意識できるようになることだ。」

上記に基づくと、マスビアウの「センスメイキング」の定義は、

“行動の痕跡などの定量データ(「薄いデータ」)やそれを活用した単純な解釈のみに頼らず、幅広い人文科学を活用しながら文化的な探索を行い、行動を取り巻く文化的な文脈を示すデータ(「厚いデータ」)も集め、それらのデータに基づいて洞察を深掘りすることにより、事象に対する解釈の方向性を見極めていくプロセス”

と整理できるのではないだろうか。そして、マスビアウの「センスメイキング」においてしばしば「仮想敵」として登場するのが、「薄いデータ」を使ったアルゴリズム思考を重視する「シリコンバレー」的な発想である。

「…本物のシリコンバレーで、あるいは広い意味でのシリコンバレー的文化から生まれているイノベーションにとてつもないメリットがあることは言うまでもない。シリコンバレー文化がグローバル経済の立役者になるきっかけとなった最先端技術や起業家精神を、完全に排除せよなどと主張しているわけではない。
問題は、シリコンバレーが我々の知的生活をじわりじわりと犠牲にしている点だ。歴史学や政治学、哲学、芸術学などの人文科学、言い換えれば世界の豊かな現実を生き生きと描写してきた伝統が、シリコンバレーで流通する想定一つひとつに踏みにじられているのである。

技術が救世主だとか、過去に学ぶものがないとか、数字がすべてを物語るといったことを信じていると、やがて危険な誘惑の言葉にふらふらと吸い寄せられることになる。真実の断層をコツコツとつなぎ合わせる努力をせずに、特効薬を見つけようとしているようなものだ。

こうしたシリコンバレー流の誤った想定に対して、筆者が提示する是正策がセンスメイキングである。途方もないくらいのコンピュータ処理能力を自由に使える時代になったとはいえ、腰を据えて問題に向き合い、苦悩し、先人らがコツコツと丹念に取り組んできた観察の成果に助けを借りながら、答えを見つけだそうと努力することを、我々人間は避けて通れない。」

ただし、「シリコンバレー」側も、マスビアウが『センスメイキング』を書いた2018年頃からさらに進化し、今日では「薄いデータ」から「厚いデータ」にも対応を強化してきている。例えば「大規模言語モデル」を活用したチャットサービスは、ある事象に関連する文脈を示す可能性のあるデータを効率よく集めるのを支援するようになっているのを今日私たちは体感している。

話が逸れたが、マスビアウの『センスメイキング』についてさらに理解を深めるために、この本の中から「センスメイキング」を「人間が新たなスキルを身につける五つの段階」「四つのタイプの知識」「アブダクション」と照らし合わせながらさらに整理する。

 

「人間が新たなスキルを身につける五つの段階」

マスビアウは『センスメイキング』の中で、カリフォルニア大学バークレー校の哲学教授であるヒューバート・ドレイファスが提唱した、人間が新たなスキルを身につける際の五つの段階について、自らの解釈と事例を加えながら紹介している。

第一段階「初心者レベル」

初心者レベルの人は、ある状況の中で「文脈に依存しない」要素に基づいて行動を決定するルールを身につけ、そのルールに基づいて、こうした要素を操作する

  • 例: クルマの運転初心者は、「ある速度になったら変速する」というルールに基づいて、上り坂かどうかも、エンジンの回転数も気にすることなく、クルマが一定の速度に達すると変速する
  • 例: ビジネススクールに入学したての学生は、決まって市場シェアと標本調査結果と生産コストをコスト利益モデルに突っ込んで市場分析をしたがる
  • 例: ワインの醸造年度や品種、産地といった文脈と切り離された要素を見て、すでに習ったルールに照らしながら、どのワインが「上物」かを見定めようとする(が限界あり)

第二段階「新人レベル」

新人レベルの人は、これまでの経験に基づいて「その場の状況に応じた」要素を認識できるようになる

  • 例: 犬の飼い主が自分の愛犬の吠え方を区別できる
  • 例: チェスの選手は何手も先の形勢を読むことができる
  • 例:その年度と産地のワインを実際に味わってきて、その経験を応用しながら、どのワインが「上物」かを見定める

第三段階「一人前レベル」

一人前レベルの人は、膨大な「文脈に依存しない」要素と、膨大な「その場の状況に応じた」要素の中から、目の前の状況に最もふさわしいものを優先して検討できるよう、階層構造の意思決定手順を持つようになる

  • 例: 営業部門の責任者は、まず営業目標がすべて達成されているかどうかを判断し、もし達成できていなければ、各チームに話を聞いて、数字が伸びていない原因を探索し、全部で四つあるチームのうち三つのチームが「取扱品目が多すぎる」と言っているならば、上長に掛け合って商品リストの精査を提案する

第四段階「中堅レベル」

中堅レベルの人は、習ったルールを杓子定規に当てはめるだけでなく、過去の経験の蓄積から浮かび上がるパターンを認識できるようになり、目の前にある個々の要素の間の関係性を理解するだけでなく、目の前の状況を全体として捉えるようになる

  • 例: 作家ウィリアム・ギブスンの小説『Pattern Recognition(パターン・レコグニション)の主人公ケイス・ポーラインドが、独創性のない企業ロゴを目にすると、間髪をいれずに反射的に体が拒絶反応を示す

第五段階「達人レベル」

達人レベルの人は、何をするにしてもその関わり具合は複雑を極めるため、頭で考える余地がほとんどなくなる。我々が自分の身体を意識せずに生活しているのと同じで、達人としてのスキルが完全に自分のものになっていると、そのスキルさえも意識しなくなる

  • 例: 作家コリン・ホワイトヘッドが、ある日、「19世紀前半に奴隷たちの逃亡を手助けするために実在した秘密組織の名称である『地下鉄道』が、もしも本物の地下鉄道だったら」とつぶやいたときに反射的に強烈な衝動を覚え、この着想を起点に、直観を駆使しながら、幼いころから馴染んできた小説やドラマの印象的な場面を織り込みながら小説『The Underground Railroad(地下鉄道)』の物語を組み立てた

初期の段階は教科書通りの基本規則や合理的な判断の応用ばかりだが、段階が進むにつれて、無意識に発揮される研ぎ澄まされた直観が中心になってくる。そして、直観を働かせると、予期せぬパターン同士の類似点を見つけ出し、やがてはかつて聖域とされていたルールであっても、例外なく覆す新たなルールをつくり出せるようになる。あるいは、行動のあるべき流れを決めているのが本人ではなく、状況全体から直接浮かび上がってきて、頭で考えるのではなく身体の記憶で動くという経験として現れる。

マスビアウによると、この無意識に発揮される研ぎ澄まされた直観によって、あるいは身体の記憶で動くと言う経験として、自らが方向づけられる力こそ「センスメイキング」である。

 

「四つのタイプの知識」

マスビアウは『センスメイキング』の中で、「自分が何かを知っている」とは何かについて過去の哲学者たちが考えてきたことを四つのタイプに整理している。

1. 客観的知識

自然科学の基礎。同じ結果になることを何度でも検証できる。主張内容に再現性があり、普遍的に有効であり、実際の観察結果に一致している

  • 例: 二+二が四であることの知識
  • 例: このレンガの重さが三ポンドであることの知識
  • 例: 水が水素原子二個と酸素原子一個からできていることの知識

2. 主観的知識

個人的な見解や感覚の世界。認知心理学の研究対象となる内面生活の現れ。自らの感覚の領域に属するものを経験した場合、その瞬間に正しい知識として受け止められる

  • 例: 自分の首が痛いことについての知識
  • 例: 自分のお腹が空いたことについての知識

3. 共有知識

公共の文化的な知識。共有された人間の経験の領域。そこに漂うムードや気分のような、客観的でも主観的でもなく、全員の感じ方に影響を与える

  • 例: ジョージ・ソロスらがポンド切り下げを予想するのに使った、ドイツのインフレの経験、戦後の通貨政策にその経験がいかに表れていたか、ロンドンの街並みの雰囲気、利上げで英国が困窮している様子といった知識

4. 五感で得られる知識

身体から得られる知識。意識されず感覚や知覚として感じ取られる

  • 例: イラクでの活動経験が豊富な兵士が、偽装爆弾に近づいたときに自分の体の中に生まれる何らかの「感覚」
  • 例: ベテランの消防士が火の動きを予期する「第六感」
  • 例: ジョージ・ソロスが市場データを一種の意識の流れとして体感し、市場データが自身の知覚に複雑に絡みついていると感じ、自分の身体が市場システムの”一部”になっている状態で得られるもの

この中で、五感で得られる知識は、マスビアウも『センスメイキング』の中で少し言及しているが、行動経済学者のダニエル・カーネマンの「システム1」に通じるものがありそうだが、詳しくは、私が『楽しいことを考えている方が良いアイデアが出る』に書いた「連想記憶マシン」を参照いただきくとよいだろう。

マスビアウによると、ジョージ・ソロスらが絶妙な判断を何度も下すことができたのは、これら四つのタイプの知識をどれも重視し、見事に融合させたからであり、このような「四つのタイプの知識の見事な融合」こそ「センスメイキング」である。

 

「演繹法・帰納法・アブダクション」

マスビアウは『センスメイキング』の中で米国の哲学者・論理学者のチャールズ・サンダーズ・パースが問題解決に使用する推論形式として定義した「演繹法」「帰納法」「アブダクション」の三つを取り上げている。

1. 演繹法

一般的な法則や理論(仮説)から入って、個々の具体的な事象に応用する。トップダウンの推論方法とも呼ばれる。範囲が限定的な問題に威力を発揮するが、新しい情報を組み込むことができない

  • 例: 「すべての女性は死を免れない」「サリーは女性である」という前提から、「サリーは死を免れない」と推論する

2. 帰納法

具体的な観察から入り、理論へと研ぎ澄ませていく。既知の部分と未知の部分がある特定の問題にはそれなりに有効だが、異なる文化や行動様式においては文脈を捉えることができないので妥当性が低い

  • 例: 「サリーは医師である」「サリーは学校を卒業したばかりである」という観察から、「サリーは医学部出身である」と推論する

3. アブダクション

既知の説明や理論的な説明がつかない現象を観察した上で、知識に裏打ちされた推測をする。新しいアイディアを生み出すことができる

  • 例: 「家の窓が割れている」「宝石箱がなくなっている」「家具がひっくり返っている」「服があちこちに散らかっている」という一連の現象の観察から「泥棒に入られた」という、不確かだが最も合理的な結論へ飛躍する

パースがアブダクションの前提として、仮説が「真である」かどうかではなく、「真に近い」ものであるかどうかを問うことを主張し、「真に近い」ものは、常に改善の余地があり、新たな真実が見えてくる可能性に対して開かれていることを重視した。この「真に近い」状態は、不確かな状態なので、私たちにとっては不安だったり不満だったりし、そこから逃れて確信が持てる状態に移りたいと考えるものなのだが、マスビアウは、この不確かな状態こそ、新たな理解への道を開くものであり、創造性の真の姿であると捉える。

 

「人間が新たなスキルを身につける五つの段階」における無意識に発揮される研ぎ澄まされた直観によって自らが方向づけられる力や、「四つのタイプの知識」における客観的知識、主観的知識、共有知識、五感で得られる知識の四つの見事な融合、あるいは「アブダクション」における不確かな状態は、文化的な探索や、「厚いデータ」に基づく洞察の深掘りにより事象に対する解釈の方向性を見極めていくプロセスにおいて、私たちを、反論の隙を見せない数字や知識、教科書的なルールから「自由」にする。

この「自由」は、千利休の茶道の修行において、師匠から教えられたことを守り、会得する「守」から、教えられたところからさらに展開して新しく工夫していく「破」を経て、「守」からも「破」からも自由自在になった「離」に辿り着いた境地も連想させる。〔笠井 (1991)『千利休の修行論』

マスビアウの『センスメイキング』は、私たちが探索し、洞察を深めながら、自ら方向を見出す際に、私たち自身を縛るものから「自由」になるための人文科学(まさに「リベラル・アーツ」!)の可能性を具体的に示した本である。

(資料)

入山章栄 (2019) 『世界標準の経営理論』 ダイヤモンド社

及川直彦 (2002) 『楽しいことを考えている方が良いアイデアが出る』 https://oikawa.hatenadiary.com/?page=1664458282

笠井哲 (1991)『千利休の修行論』 https://core.ac.uk/download/pdf/56630611.pdf

クリスチャン・マスビアウ (2018) 『センスメイキング』プレジデント社